隼人瓜



こんなかんじで次から次へとなっていきます。

あと塩漬けにして、

酒粕に漬けると、最高の奈良漬が出来上がります。  

2006年10月31日 Posted by 吉祥 at 07:24Comments(4)TrackBack(0)果菜類

近江歴史回廊大学

芋煮会と順序逆になりましたが、先日土曜日近江歴史回廊大学に行ってきました。当日は彦根燦パレス会館でありました。当初車で行くこと考えていたのですが、急遽何事も安全ということで電車でいくことにしました。といっても電車もあてにできませんが。電車で米原方面何年振りでしょうか、南草津もそうですが栗東駅前のマンションの林立には正直びつくりしました。しかしこの話と新駅とは別問題ですが、

1時限は近江歴史回廊大学学長童門冬二学長による、「私の近江歴史回廊~歴史に学ぶひとづくり~」と題して近江を地盤に活躍した戦国武将織田信長をはじめに羽柴秀吉、徳川家康、石田三成、山内一豊らのドラマを通じてそれぞれの人間性についてお話聞かせていただきました。信長については、個人的にはありますが、焼き討ちというイメージをもっているものですから、悪役という感じなのですが学長の話を聞いて考え少し変えなければなければいけないのかなぁーという想いです。

2時限は歴史を生かした地域づくりということで、きんたろ会ならびに北遊遊倶楽部の活動報告会があった。地域活動というのはほんとむづかしいと思います、人それぞれ考え違うもんですからしかしあまり参加をしいたげると、田舎のよさがよさでなくなってしまうのではと杞憂いたします。  

2006年10月30日 Posted by 吉祥 at 21:23Comments(0)TrackBack(0)近江歴史回廊

芋煮会


今年は例年にもましてさといもの出来が
いい。さといもは種の植付け前多めに堆
肥をほどこすこと、夏のみずやりをかか
さないこと、そして土寄せ、これをやらな
い限り絶対いいものは出来ない今年は
計3回の土寄せを行った。

今年の夏は例年にもまして、雨が少なく
熱かった。夏の間水遣りをかかさず、
引き抜いた雑草で株元を覆ってやり
夏の乾燥を少しでも和らげた。

いい小芋が入っていることを願うばか
りである。来月にもたんさん家族を招
いて芋煮会を計画している。

東北地方とりわけ山形、宮城両県が
盛んらしい。本来は、河川敷でおこな
うものらしいが取り敢えず自宅庭でやろうと考えている。汁の具は地域によってさまざまであるらしい。

宮城県は味噌味で豚肉派 山形県は醤油味で牛肉派らしい。どちらでいくか
迷っているもちろん野菜は畑で調達する。

当方は吉祥流でどうかなぁー。
(以上9月の記事からコピーしました)

本日
約束の芋煮会、たんさん家族を招いてやることになりました。
とりあえず宮城県風でおこないました。
肝心のいもであるが、ねっとり感もまあまあーで、ほぼ満足の出来でした。  

2006年10月29日 Posted by 吉祥 at 15:44Comments(4)TrackBack(0)根菜類

カトレア 



二輪つぼみのこして

全部咲きました、ありがとう。  

2006年10月28日 Posted by 吉祥 at 11:39Comments(1)TrackBack(0)シンビ栽培教室

雨上がり



野菜作りにはやはり雨が必要ですなあー。

先日の雨で畑の野菜も生き生き、

手前から、キャベツ、人参、ほうれん草、

白菜、大根、見えないけど、ねぎ、玉葱苗、

からし菜、水菜あとエーと

おあとがよろしいようで。  

2006年10月26日 Posted by 吉祥 at 20:17Comments(3)TrackBack(0)家庭菜園

近江歴史回廊大学

昨日近江歴史回廊大学の講義を受けるため、大津勤労福祉センターに行って来た。
1時限目は安土城考古博物館大橋先生による、近江歴史Ⅰ原始・古代であった。縄文式時代の丸木舟が県内各地で出土され、その数国内から出土された約四割の数を数えるとのこと。とりわけ近江八幡市元水系、彦根市松原内湖、米原市入江内湖に集中しているとのことであった。当時琵琶湖の水位は今より約3M低く湖岸線は大津で言うと100Mほど沖合いであつた推測されるとのことであった。

あと、犬上御田鍬の話があった。御田鍬は小野妹子のあとをうけついで遣隋使、遣唐使となった豪族で当時藤原一族の要職の地位にあったとのことである。小野妹子ともども続けて近江の国から遣隋使がでたということは、当時の近江の国の繁栄ぶりが伺える。

2時限は立命館大学川嶋教授の猿楽の話で始まった。猿楽とは能、狂言の前身をなすもので、ここ近江には、下三座、上三座の六座が存在しはていたそうである。大和猿楽系の観阿弥そしてその子である、世阿弥が足利義満の手厚い保護の下、芸を磨き今日まで受け継がれている能に対し猿楽は
そこを怠ったため衰退ならびに消え去る運命となつてしまっつたようである。しかし犬王道阿弥(近江で活躍していた太夫)は世阿弥の大先輩にあたりその芸風に一目おかれていたのであるから、近江猿楽がかなずしも風體とはいえないのではないか。しかし一度薪能なるものみたくなってきた。  

2006年10月22日 Posted by 吉祥 at 19:35Comments(2)TrackBack(0)近江歴史回廊

大地を割る



大根が順調に育っている。土がわれてきている、

太ってきている証拠なんだろう。

もう虫の心配もいらないし、あとは日一日太く

なるのを願うのみである。  

2006年10月22日 Posted by 吉祥 at 09:08Comments(4)TrackBack(0)根菜類

アスパラの定住地


アスパラカスは一度植えると10年そのままでいいらしい、
ただしあとの管理は必要だが、今の畑でもいいが、果樹が
植わっているいるところにアスパラ専用地を確保したい。
ところがここは、粘土状でとても野菜の栽培には向かない。
まして、アスパラは砂質でなければならない。

そこで、土のいれかえをおこなうことにした、深さ約40センチ
掘り下げ客土をいれる。知人に畑の土をいただくことにしている、
昨日スコップでやりかけたが、堅くて遅々として進まない。
来春までに完成すればと思っている。
目標は1M×3Mであるが。  

2006年10月22日 Posted by 吉祥 at 07:25Comments(6)TrackBack(0)葉菜類

こぶりだが



このかぼちゃ最近大人気なぜなのか、

条件の悪いところでこのかぼちゃはつくったのだが

鹿ケ谷かぼちゃの形はしている、

だが少しこぶりである。  

2006年10月18日 Posted by 吉祥 at 21:29Comments(2)TrackBack(0)果菜類

カトレア



C.Rosian.Rain

今日、3輪咲きました、あとつぼみがもう6輪あるが

全部写すのはむりでしょうなぁー。  

2006年10月18日 Posted by 吉祥 at 19:57Comments(2)TrackBack(0)シンビ栽培教室

まぼろしの山田港駅

明治22年7月鉄道省による湖東線が開通、時同じく明治22年12月関西ではじめての私鉄、関西鉄道(草津と四日市を結ぶために設立)が草津~三雲間を開通させた。その後明治23年3月三雲~柘植間が完成したことにより、関西鉄道草津駅が省線草津駅との連絡駅となった。

ここで関西鉄道は、省線草津駅と連絡するだけでなく、自らも山田港まで路線を延長し山田港~大津を太湖汽船に大津から京都まで疎水によって京都にいたるという計画がなされた。このルートの方が運賃が安くつくという計算であった。しかしこの計画は省線と関西鉄道が立体化されなくてはならず、日の目を見ることはなかった。

もしこの計画が実行されていたならば、今のJR草津線は、柘植~山田港間となっていたのではないか、何か明治のロマンを感じるものである。  

2006年10月16日 Posted by 吉祥 at 21:31Comments(0)TrackBack(0)太湖汽船

矢橋の帰帆

近江八景の矢橋の帰帆として名高い矢橋港は、江戸時代まで、矢橋港~大津の航路があった。この間陸路で行くと16kmであるのが、この航路を利用すれば5kmと近道であるため大いに利用された。しかしこれも前述の蒸気船が運航されるまでのことであった。

明治に入ると大津~山田港がこれにとって変わっていったのと同時に矢橋港自体も衰退してゆくのであるが、ここで面白い記事を見つけた。  

2006年10月16日 Posted by 吉祥 at 20:51Comments(2)TrackBack(0)太湖汽船

マリーゴールド



マリーゴールドは、線虫よけに畑に植えている。

肥料がたっぷりなのかただいま満開である。  

2006年10月15日 Posted by 吉祥 at 16:46Comments(7)TrackBack(0)

諫早柿



色づいてきました。

無農薬でそだてました、といえば聞こえがいいが

ほったらかしにしておいただけです。

諫早だと本当はもう少し大きくなかないといけないのだが、

当方のミニ果樹園更地なものですから、

これが精一杯です、

少しづつ肥料与えていこうと思うが果たして

何年かかることやら。  

2006年10月15日 Posted by 吉祥 at 08:49Comments(4)TrackBack(0)果樹

カトレア

C,Rosian,Rain

  

2006年10月14日 Posted by 吉祥 at 07:40Comments(4)TrackBack(0)

太湖汽船に思いをはせて(その歴史 3)

この航安組の出現により、三汀社、江州丸会社と相次いで誕生し再び各社間で競争が始まった。おりしも明治13年に鉄道局が京都~浜大津間に鉄道が敷設され、また長浜~敦賀間に鉄道鉄道が計画された。このことにより大津~長浜間は、湖上交通を利用する計画に相成ったことにより、鉄道連絡船としての使命が甚大となった。そこで県は明治15年大阪の藤田伝三郎を頭取とした、資本金50万円の合併会社が創立され社名は太湖汽船となった。

特に第一太湖丸、第二太湖丸はわが国における最初の鋼鉄船で、大津~長浜間は日本で最初の鉄道連絡船であった。しかしこの連絡船も明治22年湖東線の開通により、僅か5年でもって廃止となり太湖汽船は、観光船ならびに近距離船と変貌していくのであった。

上記記述のとおり明治22年で連絡船としての使命を終えるが湖上交通の足としての使命は大正、昭和へと受け継がれていったようである。

参考図書 滋賀100年 毎日新聞社  

2006年10月13日 Posted by 吉祥 at 14:22Comments(0)TrackBack(0)太湖汽船

太湖汽船に思いをはせて(その歴史 2)

ところがこの頃汽船戦国時代に入り客の争奪戦にと発展、過当競争となり M7.11.1長運丸が唐崎沖にてスピードを出しすぎより、汽かんに負荷がかかりすぎたため爆発炎上し数十人が亡くなり。又M8.2.24には満芽丸が過積により小松沖で転覆乗客47人が死亡する事故が相次いでおこった。

このため県は汽船取締役所を設立、汽船発着時刻の認可、乗客定員届出制度、乗船きっぷ販売など数項目に亘る取り締まり規則をつくり、湖上交通の安全規制にのりだした。これによりしばらく沈着冷静になったと思われたが、、、、、、、、、、、、

明治九年谷口嘉助が同僚杉江善右衛門と組航案組をつくり、紺屋ヶ関(浜大津)~草津山田間に就航明治十年に山田丸、末広丸を同区間に就航これが太湖汽船現琵琶湖汽船の前身である。

(10月7日記事より引用)
私は若いころ県庁に行っててここから船でこんやがはま?今の京阪島ノ関まで通っていました。ここからだと汽車で行くよりずっと早かったんですよ、高校生も大商や滋賀女子まで通う生徒もいて満員で、30分位で着きました。昭和33年頃までそうでしたよ、この場所に記念碑2つあります。松田さんのと、もうひとつそこに善右衛門さんのがあります。なにもかもが驚きであった。  

2006年10月12日 Posted by 吉祥 at 00:10Comments(0)TrackBack(0)太湖汽船

三連続のからし菜



また、からし菜ひいたの、えー

またー

今からもういちど、種うえてくれない。

袋みると11月初旬まで播種は可、でも場所が、、、、、

(風通しが少しよくなったみたい)  

2006年10月11日 Posted by 吉祥 at 20:50Comments(4)TrackBack(0)葉菜類

太湖汽船に思いをはせて(その歴史 1)

太湖汽船の歴史をひもとくには、秀吉の時代にまでさかのぼる天正15年秀吉が大津の船持ちに船をつくらせ、湖上船運の特権を与えた「大津百艘」が始まりである。もちろん木造手漕ぎであったた゜ろう。

明治2年元加賀大聖寺藩藩士石川 璋が陸用の汽かんを船に取り付け一番丸と命名し大津~海津に就航させ、船は両側に大きな車輪をつけ丸子船を一艘後部にひいて運航した。当時手漕ぎの舟しかなかった時代にポンポンと黒鉛をはいてつきすすむ船をみて人々はたいそう驚いたというが想像に難くない。

元加賀藩士がこの船を運航させたということは、越前、加賀の産物を京都、大阪に送るためであったのだろうか?

それとほぼ同時期彦根藩の肝いりで宮川庄三郎なる方が大津~米原に金亀丸を、海津の磯野源一郎が大津~塩津間に湖上丸を就航させ湖上交通は百艘から蒸気船の時代へと移り変わっていくのである。

参考図書 滋賀百年 毎日新聞社  

2006年10月11日 Posted by 吉祥 at 20:30Comments(2)TrackBack(0)太湖汽船

からし菜はすぐれもの

毎年水菜をつくっているが、冬にはあまり食べない水菜は春先の菜の花が一番おいしい、からしマヨネーズによし和え物によし、所が水菜もよいがからし菜も同じアブラナ科で菜の花も美味しいとは早くから聞いていたが、今年初めてつくってみた。先月種を撒いたところほぼ100%の発芽率になった。からし菜といえど虫がつくとは聞いていたが無農薬でもほとんど虫はいない。今日間引き菜として食卓に供した。私は和え物、子供はサラダ、カミさんはゆでてマヨネーズがいいという。とりあえず3品それぞれ試食した。口にしたとたん新鮮な歯ごたえと心地よい苦味と辛さと匂香があり絶品である、こんなに簡単にできて美味しいものもっと早くからつくるべきだったと後悔している。

しかしこの野菜からどうしてあのからし粉ができるのか不思議でならない、種をとってすりつぶすとは聞いているが、なにはともあれ春の菜の花楽しみである。

ななさん今からでもいけるのじゃない。初心者向き簡単簡単、ただし保障はしないけど。  

2006年10月10日 Posted by 吉祥 at 00:09Comments(2)TrackBack(0)葉菜類