ラビット、アイ。



ブルーベリーの一種でラビットアイです。名前からして兎の目、実がきれいですよ、小鳥が喜んでついばんでいて私も一口。甘さと酸っぱさがあっていいのですが種が気になります。




  
タグ :果物

2008年05月30日 Posted by 吉祥 at 20:17Comments(8)TrackBack(0)果樹

鮎の醤油煮


鮎を沢山いただきました。鮎の醤油煮に早速していただきました鮎特有の苦味が美味しいです。



いつものことながら調味料の分量は感で、とりあえず濃い口醤油をダバダバと鍋に入れて晩酌の酒と、粗目と三盆糖、あとは照りをつけるのに味醂入れて強火でぐつぐつと炊きます。(炊きますと言うとまたノンノンさんに煮るのとと違いますかと言われそうですが)そうそう生姜をみじん切りにして入れています。醤油煮を作る時は水は絶対に入れてはいけないと思います。入れるのならかなり辛いですが晩酌を減らして、その酒で醤油を薄めることです。



このあたりから中火に落として鍋の取っ手を持って、クルックルッと鮎を上下に入れ替えて落とし蓋をかぶせて、再度火を入れていきます。



蓋の隙間から湯気は甘辛い匂いがさあー最後の仕上げに入ります。もう一度鮎の坂落としクルックルッ、このクルックルッが私の得意技結構楽しんでいます、あまり天高くあげると煮崩れするからほどほどに。



一番目の画像の醤油煮が完成しました。川魚はくさいと言って敬遠する方も多いようですが、私は生まれも育ちも滋賀県子供の頃から食べなれていて苦にならないです。ご飯にのっかけて食べています。私の料理ネタはあまり参考にしないでください、いい加減なもんですから。
  
タグ :料理

2008年05月29日 Posted by 吉祥 at 10:19Comments(7)TrackBack(1)男の料理

人参の間引き菜


人参を間引きました、人参の間引き菜を浸し菜にするとこれが不思議なことに絶品であります。人参葉だけだと少し癖があるので他の葉菜をまぜると美味しいです。いつも人参は種まきを失敗していますが、今回は上手くいきました種を撒くのが少し遅かったかも知れませんが、多少小さくても自家製の人参は柔らかくて美味しいです。

ジャガイモの根元を手で少し掘るとピンポン玉ほどのができていました。掘り起こしはまだ先ですが手探りで来週にでも初物で食べてみることにします。

  

2008年05月28日 Posted by 吉祥 at 19:41Comments(6)TrackBack(0)根菜類

御上神社の蟇股





御上神社の本殿は滋賀県神社建築の国宝第一号、拝殿と楼門は重要文化財です。本殿は三間堂で屋根は入母屋造りで一見仏堂に見えます。鎌倉時代の建築物で屋根が神社造り、壁面は白壁の仏堂造り、こうし窓と裏側の扉は御殿造りで、3様式合成の「御上造り」とよばれているそうです。




    
本殿にある蠆股を見ましたが国宝の本殿にしては少し物足りなく感じました。由緒書きを見て納得しました。蠆股の中の部分が欠落しているそうです、当初は立派な彫刻が施されていたのでしょう。この御上神社と同じ入母屋造りとしては同じ野洲市にある大笹原神社があります。こちらも本殿は国宝で外部に施された彫刻が見事らしい。まだ訪れたことはないのでいつしか行ってみよう。





  
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2008年05月27日 Posted by 吉祥 at 19:43Comments(4)TrackBack(0)近江歴史回廊

毒きのこ


お田植え祭りの時間を間違って早く行った為、御上神社の境内を時間たっぷりと散策していました。落ち葉の中に怪しげなと言うか綺麗なきのこを見ました。真っ白で笠の部分がなんとも表現できない黄色でした。それに笠の部分が輝いてみえました。きのこの名前は知らなくてなんと言うきのこでしょうか、綺麗なきのこは殆んどが毒きのこと聞いていますがこれもそうでしょうか。

ところできのこの周りの檜の木の幹をみると、あちらこちらと皮が剥がされていて赤茶け化た幹が痛々しく感じられました。ここ御上神社は最近平成の修復保存工事がおこなわれた様で、社殿の屋根は凛々しく映っていました。多分檜皮葺きの社殿の修復工事に使われたと思います。

そういえば確か奈良の室生寺の五重塔が台風で損傷した時も、自社の檜が使われたとニュースで見た記憶があります。檜の皮が足らなくて今全国の寺社で難問となっているようです。せっかくの景観が台無しとの意見もあるようですが、他に手立てがないとなれば致し方ないのではと思います。一日も早く檜に新しい皮が派生することを願ってやみません。

  

2008年05月26日 Posted by 吉祥 at 22:32Comments(0)TrackBack(0)祭り

昨日のお田植え祭


いきなり目にとまったのが緋ばかまと呼ばれる赤い衣装。とにかく衣装がきれいでした。このお田植祭は天皇が即位されたとき、初めて初穂を神に供える儀式「大嘗祭」が、この地で行われたのを記念して今も名前を変えて行われているようです。昭和天皇の大嘗祭が三上に決まったときは名誉なことであり、悠紀斎田には多くの人々が即位を祝ったそうです。

すげ笠、緋ばかま、手甲、脚絆姿で太鼓と歌に合わせて稲が植えられていきました。今は保存会のみなさんがこの田植祭りを継承されています。

    
式展が10時から始まりその後田植えがおこなわれました。数え歌の歌詞はよくわからなかったですが、ドンドンドンと太鼓のあと、♪ひとーつ目、瑞穂の国の、、、、千代八千代と歌われ。女性が着る緋袴と男性が着る黄袴で身支度された植え手が次から次へと苗が植えられていきました。又田んぼの畦では同じ衣装を着た15、6才の乙女子と、初老の男性が歌に合わせて踊りを披露されていました。当時(昭和3年)の新聞の写しが配られ旧仮名使いの新聞でしたが、これによると来賓として滋賀、京都各知事をはじめ歴々の方々の出席のもとに行われ3日間で10万を越す人で賑わった旨の記述がありました。


ところて゜当日は多くの観光客が来られていましたが特にカメラマンが目立ちました。私はブログに使う写真で構図とかは殆んど考えていませんが、写真家のみなさんはいい写真を撮ろうと前の方は押すな押すなの状態でした。田んぼ袴の艶やかさが絵になるのでしょうね。写真マニアにとっては絶好の被写体であるかも知れないです。
  
タグ :野洲歴史

2008年05月26日 Posted by 吉祥 at 09:22Comments(8)TrackBack(0)祭り

お田植え祭


今日朝早くから三上のお田植え祭に行って来ました。てっきり9時からと思っていて、やや早目に行きましたがお田植え祭は10時からだそうで一瞬唖然としました。しまったきちっと調べてから行くべきでした。時間調整で御上神社で時間調整していると、衣装を着た人がゾロゾロと最終の打ち合わせと練習だそうでしばし見学することにしました。

早く来てよかったかも知れません。道理であの狭い駐車場が空いているもんだからおかしいとは思っていたのですが。祭本番は整理して後日にでも記事にしたいと思っています。

  


  
タグ :歴史

2008年05月25日 Posted by 吉祥 at 12:06Comments(6)TrackBack(0)祭り

失敗したかも


今年は玉葱どうやら失敗したようです。毎年大玉種を植えていて大きくなった玉葱を見て喜んでいました、しかし家内に今の玉葱の半分ほどの大きさにしてほしいと言われていました。確かにいつもいつも大きな玉葱1個使い切ることは稀ですし、小さい方が使いかってがあると思います。

そこで今年は中玉種を植えました。このあと失敗したのは例年より肥料を控えたことです。やがて収穫の時期となりますがあまりにも小くて完全に失敗しました。先週から食べ初めていますが小さくとも味は変らないです。  

2008年05月24日 Posted by 吉祥 at 19:00Comments(6)TrackBack(0)根菜類

鳥が運んできたグミ


このグミには驚きです。
鳥が種を落としたのかいつしか芽がでてきて大きくなりました。昨年はグミというより野生のアキグミのようなのが数個なっていました。切り倒そうかと思いましたが、じゃまになるわけでもないしそのままにしておいたら、今年はグミがなりだしましたただ市販のグミではないのでやや小粒です。今朝赤くなったグミを一つ口にいれると苦味と酸っぱさと僅かばかりの甘みが混じった、子供の頃食べていたグミの味でした。

グミは何かに利用できないでしょうか、ネットではジャムにできるようですが種取が大変だと思います。
  
みかんの木とグミの木、植えた覚えのない木が大きくなって実がなるのはいいのだけど、植えたさくらんぼとすももには未だに実がならない。異品種を二本うえているのにいつになったら実もたわわに付けてくるのか、一体どうなってるんやろー。今のところ小鳥は食べに来ていませんが見つけたら喜ぶやろーね。

  
タグ :果物

2008年05月22日 Posted by 吉祥 at 11:22Comments(6)TrackBack(0)果樹

木之本での蟇股









木之本と言えばお地蔵さん地蔵堂に隣接して阿弥陀堂があります、ここの本尊の阿弥陀如来立像と坐像はいづれも国重文に指定されています。この本堂手前に書院があり明治天皇が行幸のおりこの書院にてお泊りになりました。書院内はいつでも随時拝観ができるようです。

この書院の玄関に蠆股を見つけました。精巧に細工が施された見事な彫刻でした、私流ですが蓮華の花を彫ったものではないかと感じました。じっくりと見ることができ、しばし顔をあげていましたから首筋が痛くなる程でした。木之本での現地研修は短い時間内ではありましたが、色々と知ることができ満足で帰途につきました。

  

2008年05月21日 Posted by 吉祥 at 08:57Comments(2)TrackBack(0)近江歴史回廊

千団子祭とご詠歌


当日四季咲き菊ということなので買いました。

先日Educeさんから千団子さんの記事にコメントを頂きました。
>今年は露天が少ない気がします、と言うことと御詠歌についてです。
この二点についてもう少し記事にしたくて改めて更新をかけました。当日の植木市ですが私が前回行ったのは10年程前のことで、記憶も薄らいでいますし思い違いということを踏まえての話ですが、少し以前に比べてさびしい思いがしました。

前回の記事にも書きましたが露店のお店が減っているように感じました。それとお客さんももっと多かったと思うのですが、、、、。

昔は大津近辺の方はこの千団子さんで夏野菜を買って菜園を楽しまれたのではなかったでしょうか。長時間いてなかったので確かなことは言えませんが、私が見た限りでは野菜苗を売っていたのは3店舗ではなかったかと思います。

今近くの種苗店でも年々苗の販売が競争でだんだん早くなってきていると嘆かれていました。4月中旬となればホームセンターでは野菜苗が販売されています。当然気温も低く定植適期からはずれていると考えます。この千団子祭で苗が置いてないということは既にみなさん買われてしまって売れないからだと思います。そういう私も既に植えてしまっていますが。

それともうひとつ気がついたことは、買われた植木、花を持ち歩いている方が少なく感じました。多分これもいつでもームセンターで買えるからではないでしょうか。600年からの歴史があると聞きましたが、この祭りは貴重な文化資源であり観光資源でもあります。祭りはとにかく参加することと聞きます。もとを正せば宗教行事ではありますが、いつまでもこの祭りが続くことを願ってやみません。


それと御詠歌ですが境内のマイクから御詠歌が流れていました、たまたま御詠歌の時間に行ったのかどうかわかりませんが独特の節回しで時空を超えて時が流れていくのが嬉しかったです。

できる事なら雑踏の中ではなくお堂の中で座って聞きたかったです。御詠歌は仏の徳をたたえて歌う歌でここ三井寺は西国33ヶ所の札所で33ヶ所の御詠歌が流れていました。御詠歌にはいくつかの流派があるようで聞き覚えのある音階ではありませんでしたが、マイクの声があたりの木々にこだましていました。
  
タグ :歴史

2008年05月20日 Posted by 吉祥 at 20:52Comments(2)TrackBack(0)祭り

木之本宿を歩く


先日の木之本での近江歴史回廊大学は、パンの話題と薬剤師免許については既に書きましたが本題についてはまだ未記述のため改めて記事にしました。一時限は江竜喜之先生による「北国街道・北国脇往還」でした。

    
1・近江は道の国であり東海道、中山道をはじめ北国海道、若狭街道、北国街道、北国脇往還、八風街道、御代参街道、九里半街道、七里半街道等と数多くの街道がとおっていました。このうち早くから名前がついていたのは東海道と中山道で他は明治以降につけられた名前だそうです。とりわけ以外なのが北国海道でこれは昭和50年に大津市史が出来たときこの本文の中で使われだしたと聞き唖然としました。先生の話では北国海道というより江戸の文献にでてくる西近江路の方が正しいのではないかと言う事でした。

2・街道の目印としては松並木、一里塚、道標(道しるべ)がありますが、松並木と一里塚は幕府が作りまた管理をしました。道標は今でいう道路標識でありますがこれは民間の人々によって寄進されたものが殆んどです。江戸時代に入ると人々の生活に余裕が生まれ旅する人がふえました。より的確な行き先を表示するために設置されていきましが、幕府が関知しなかったのは大名行列等で、この方たちはすでに熟知しており取り付ける必要性がなかったためだそうです。道標は文化財として認められにくく又設置箇所からも車にあたって壊されたり、あるいは拡張工事で移設して行方がわからなくなつたりしますが、近年文化財として見直し機運が進んできたのは喜ばしいということでした。現在県内で市町の文化財で14が指定されています。




2時限は木之本宿を歩きました。

木之本はいい水が出ますが街道を歩くと今も醤油製造と造り酒屋がありました。ここは地酒「七本槍」で有名な富田酒造。明治天皇の行幸で天皇が木之本に来られたとき天皇は阿弥陀堂内の書院で泊まられましたが、随行の岩倉具視はここ冨田酒造で泊まられたそうです。


木之本馬市跡、山内一豊の妻はこのあたりで馬を買ったとの言い伝えがあります。大河ドラマで一躍有名になりここ馬宿平四郎家には多くの観光客が訪れたそうです。


  
タグ :歴史滋賀

2008年05月20日 Posted by 吉祥 at 09:00Comments(4)TrackBack(0)近江歴史回廊

MyライフMyくさつ

日曜日にMyライフMyくさつ講座に行ってきました。今年が第3回目だそうで、これは団塊世代iconN20をターゲットにした講座ですがこの世代を超えた人、あるいはやがて退職を迎える方も大歓迎ということで申し込んでいました。郵便
「くさつ的スローライフのススメ」と題して、ゆったり、のんびり、じっくりと草津で自分探しを始めてみませんかと言う内容のようであります。

歴史あり、料理あり、自然の探索あり、そして市役所の中も見学しましょうとなんでもありの講座で、全8回で一度だけの参加も可能で一回につき500円の参加費(材料代は除く)が要ります。基本は日曜開催で会場、講師の都合により平日開催もあるとのことですが、日程との折り合いがつけば全講座を受講するつもりでいます。

当日初回の講座ということで草津宿街道交流館・副館長八杉 淳先生の「草津宿を支えた村・人・制度」と題して講話がありました。3月だったでしょうか同内容の話を近江歴史回廊大学で聞いたばかりでしたが、一部重複した話もありましたが今回は受講生が草津市民ということでより地域性に富んだ内容でありました。

宿場町とは伝馬制と旅籠があることが必須で当初は36人36疋の伝馬が義務づけられ、その後には100人100疋まで拡大された。この伝馬制のもとでは問屋場が置かれ問屋場では幕府の書状や荷物の継立てが行われた。しかし参勤交代の大名行列となると100人100疋では足りず、周辺の村々に助郷として人足と馬の調達が割り当てられてしまった。草津市では現在の野路、野村、青地あたりが指定されのちにはこれだけでは足りず山田、下笠あたりまで増助郷として指定された。農民にとってはこの助郷は百姓の傍らの労役と馬の貸し出しであり、負担を強いられることになった。face09

今回の講義では、伝馬制度と助郷に特にこと細かな説明をしていただきました。この問屋場は草津宿では4丁目にあったそうです。

次回は葉山川堤防を歩き野鳥と草花iconN12探しです。とにかく野鳥も草花も名前がしらないものですから今から楽しみな内容であります。
  
タグ :草津

2008年05月19日 Posted by 吉祥 at 11:15Comments(4)TrackBack(0)土曜講座

千団子祭り


千団子祭に行ってきました。
三井寺の守護神である鬼子母神の祭礼で千個の団子を供えることから「千団子祭り」の名がついたそうです。鬼子母神とは名の如く女神で自ら千人の子供をもちながら、人間の子供を奪って食べる鬼神でしたがお釈迦様の説法を聞き懺悔して仏法を守護する神となられたそうです。

  
この千団子祭では期間中、護法善神堂の本尊重要文化財・護法善神立像が開扉され、堂前では子供の無事成長を願って亀を池に放す「放生会」が行われます。この鬼子母神像は成道に入ってからは子供のない人には子供を授け、病気を癒しすべての悪事から子供を護ることを誓願されたと言われています。


とは言っても千団子と言えば植木市。



今からすでに半世紀前となりましたが私が子供の時からこの祭りは聞いていました。親父は今のようにホームセンターがなかった時代ですから、江若鉄道(と言っても、この江若鉄道を知る人は少ないと思いますが)に乗ってこの植木市を見るのが楽しみであったようです。園芸好きの私も今まで何度も行ってますが露天を見るだけでも結構楽しかったです。
  
タグ :滋賀

2008年05月18日 Posted by 吉祥 at 15:47Comments(8)TrackBack(0)近江歴史回廊

薬剤師免許第一号


近江歴史回廊大学の受講のため木之本に行って来ました。一時限二時限とも近江地方史研究会の江竜喜之会長の講義でした。一時限はきのもと交遊館で「街道・道標」の座学が、そして二時限は現地研修と言うことで木之本宿を歩いて回りました。先生は元八幡商業高等学校の校長で若くから街道に興味をお持ちになり、近江の街道に大変造詣の深い先生であります。



 ここは木之本宿の元本陣ですが本陣薬局ともいうようです、先生の説明が始まろうとしたら偶然にも当主が出てこられて先生とは旧知の間なのか特別に中に入ることが許されました。今も生活住居で一般に公開はされていません、一度に40人もの生徒が入るものだから一部の人は中にはいれませんでした。中ではこれも特別に当主が説明されていましたが、声も聞けず残念でした。



と言うのも実はここ本陣の前が例の「サラダパン」のお店で私はパンを買っていたため中に入れず終い。この薬看板が意味するのは明治に入り本陣が廃止になり、今の当主の先々代が日本で第一号の薬剤師免許を取られたそうで、室内にもレトロな薬看板と免許の数々が額に納められていました。




ここは北国街道と北国脇往還との分岐点で、ここから北方向が木之本宿で今もこのような古い民家が残っており宿場町の雰囲気が十分に味わうことが出来ました。
  
タグ :滋賀歴史

2008年05月18日 Posted by 吉祥 at 07:13Comments(6)TrackBack(0)近江歴史回廊

サラダパン




今日は近江歴史回廊の講義を受けるのに木之本まで行って来ました。木之本の街を歩いて知らないことを発見充実した一日でした。先日このサラダパンをブログ記事にしたものですからとりあえずこれから。講義内容はまた後日にします。

   
私は詳しいことは全く知りませんがテレビでもこのパンが放映されたとか、今日現地研修の時間内で買いました本陣の前にお店があって私だけ集団から外れて買い物しました。次から次へと車で買いに来られました、やはり有名店なのでしょうかレジはおばあさんがレジ打ちされていました。食後の後試食をしました、沢庵は感じなかったです事前に知っていたからわかりましたが、もし沢庵が入っていると知らされなかったらわからなかったと思います。

コッペパンに沢庵とマヨネーズが味がしましたがパンが柔らかくて美味しいです。1個130えん近くで売っていたら買います。  

2008年05月17日 Posted by 吉祥 at 21:48Comments(4)TrackBack(0)近江歴史回廊

志那神社の蟇股






蟇股が気になってしまってkao05今日も近くの神社に蟇股探しに行きました。とりあえず志那神社、でもここは本殿が国指定の重要文化財です。本殿は1間流造りの小さな祠ですが重文は重文、いいですね近江はいつでも貴重な文化財がいつでも見られるのですから。ここは板塀がなくて本殿の中まではいれました。

  
本殿の横にも社殿があって船肘木にも蟇股がありました。でもこちらは幕板に彫刻がしているようです、やはり蟇股とは庇のところの梁に施された支えとなるものに彫刻がなされたものではないかと思いました。




この後印岐志呂神社にも行きましたがここにも蟇股を見ました。かなり彫刻が施されているのが遠目でもわかるのですが中にははいれなくて、写真にも収めることが出来ませんでした。

  
タグ :草津滋賀

2008年05月16日 Posted by 吉祥 at 20:45Comments(0)TrackBack(0)近江歴史回廊

雨上がり

今朝の公園の木々の緑は一段と映えてみえました。やはり雨が降ったあとは葉が生き生きとしています。畑の野菜もこの雨でジャガイモの葉も大きくなったように見える、如雨露で水をやっているのと天然の水やりとはあきらかに違いがあるようです。

瀬田川から見る対岸の緑が川面に映しだされてすばらしく綺麗でした。山は緑だと考えがちですがよく見るとそうではない。濃い緑もあればコバルト色もありなかには黄色く見えるのまである、石山寺のまわりの山はとりわけカラフルである。濃く見えるのは針葉樹、黄緑がかって見えるのは広葉樹だろう。普段何気なく見ている山にも顔があるのが面白かった。

ところで今週は土曜に歴史大学で木之本に、日曜は午前中草津講座で午後は千団子祭りへ。忙しい週末となりそうだが今から楽しみにしている。木之本では「ウマ しが日記」に書いていた沢庵入りサラダパンを買ってこよう。

  

2008年05月15日 Posted by 吉祥 at 09:30Comments(6)TrackBack(0)

蟇股(かえるまた)



土曜日の近江歴史回廊大学の続編です。2時限の池野先生の「寺と社・文化財建造物の基礎を学ぶ」はかなり興味が湧く講義内容でした、結果的には昨年と同じ内容ではありましたが昨年聞き漏らした内容が多々あり、文化財建造物に対する造詣が深まったと思っています。

よく言われていますが近江は全国第4位の文化財の保有権ですが、これは東京には国立博物館があり全国から文化財が集まったためであります、一方こと建造物に限ってみるとこれは京都、奈良に次いで第3位だそうです。因みに県内の国宝、重要文化財の総数は228棟でそのうち国宝は23棟を数えます。多いのが大津市で87棟次いで東近江市が16棟、野洲市が14棟竜王町が10棟となります。
社寺建築を研究するにあたって有名なことばして「古代の奈良、中世の近江、近世の京都」とあります。これは古代(飛鳥・奈良・平安)は奈良へ中世(鎌倉・室町)は近江へ近世(桃山・江戸)は京都へと言う事で、鎌倉・室町時代の建造物を知りたければ近江へ行きなさいと言うことらしいです。この時代の建物が全国的にみても数多く残されていると言うことなのでしょう。


  
昨日早速中世の建造物を確かめたくてもっとも近い、下笠町にある本殿が国指定重要文化財の老杉神社に行ってきました。いままで何度も境内には入ってはいますがお参りに行くのと建物を見に行くのとでは大違いでした。失礼のないよう向拝で柏手を打ってきました。この老杉神社は三間社流造で流造とは屋根をそのまま前方に葺きおろして向拝とされているもので、三間とは前室が三間あるということです。この一間とは柱と柱の間のことで
一般住宅の一間(180cm)とは違うようです、と言うことは三間と柱が4本あるというこで2本だと一間社流造となります。近江にはこの流造りの社殿が数多くあるということでした。


  
もう一点面白いと思ったのは蟇股で本来は紅梁と呼ばれる梁の上に置かれ、屋根の重みを支える部材ですが時代が進むにつれここに彫刻がなされまた彩色までほどこされてきました。ここ老杉神社の蟇股は精巧に彫刻がなされ彩色もしてあり画像の由緒書きにも優れたものである記載がありました。蟇股とは蛙が足をひろげた格好に似ているところからきたようです。

この蟇股の好きな方がおられて蟇股の写真ばかり撮られている方がおられるそうです。私も面白い趣味だと思いました、老杉神社の本殿の中は正月以外は鍵がかかっていて入れませんでしたが蟇股はわかりました。ただ何が彫ってあるのかはわからなかったです多分花鳥ではと思われます。基本的な神社仏閣の建物の見方を教えていただき視点を変えてまた見ることが出来そうです。
  
タグ :草津滋賀

2008年05月12日 Posted by 吉祥 at 10:27Comments(10)TrackBack(0)近江歴史回廊

人参は水に漬けた方が


家庭菜園で必ず作りたい野菜と聞かれば、多分人参はいれると思う自家製の人参を上手くつくれば、柔らかくてそれになにより甘い。野菜が甘いと感じるのはあと、キャベツ、玉葱かなあー、大事なのを忘れていたトマト。ところがこれらの野菜を市販で買ってもそのように感じないなぜだろう。

しかしこれらの野菜を家庭菜園でそだてるとなるといずれも難しい。この人参毎年春、秋と種を撒くのだがうまく発芽してくれない、発芽さえしてくれたら後の管理は楽な野菜ではあるが毎年発芽に失敗している。今年は一度水に漬けて撒いてみたら見事にはえ揃った、春撒き人参は比較的芽が出やすいので効果があったか疑問であるがうまくいったのではないかと思っている。

8月後半に秋撒き人参をこの方法で撒こうと思っている。


青梗菜と書いてチンゲンサイと読むそうだ、こちらは人参に比べて種をおとせば芽がでてくる。ただ今の時期は虫の管理が大変である。無農薬に近い育てかたをしたいものだから檻の中で生活してもらうことになる。

  

2008年05月11日 Posted by 吉祥 at 21:38Comments(2)TrackBack(0)根菜類