渋谷金王丸の墓




国道161号線を堅田から北に走るとやがて和邇の集落に入ります、和邇川をこえやがて平和堂を左にみると三差路が見えます。ここで信号が赤になるとちょうどいいのですが停止線の左に大きな松ノ木が一本あります。

ここに「渋谷金王丸の墓」があります、ガイドブックにはまず載っていないと思われますが渋谷金王丸とは、17才の時源義朝の家来となり保元の乱(1156年)で大功をたてた。その後平治の乱(1159年)でも義朝に従っていたが、義朝が平清盛に破れ長田忠致のために謀殺されてしまった。

その仇を討たんがため長田の兵士に取り囲まれながらも、敵兵数十名を切り殺し満身創痍となりながら敵陣を突破京都に戻り義朝の妻子(常盤御前)にこれを報告した。そののち義朝の菩提を弔うため出家し土佐坊昌俊と名乗った。

文治元年(1185年)義朝の子、源頼朝の命を受け堀川にあった源義経(牛若丸、頼朝とは異母兄弟)を襲い暗殺を図ったが失敗捕らえられ斬首のうえ、六条河原にて晒し首とされた。


大津方面より今津方を見て左側に松の木が見えます。
ここになぜ渋谷金王丸の墓があるのかどうやら不明のようです。
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2008年04月15日 Posted by吉祥 at 19:18 │Comments(4)TrackBack(0)近江歴史回廊

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この記事へのコメント
昔は本当に血なまぐさいことが多かったのですね。
17歳で・・・主君に捧げる一生は、今では見ることの出来ない、純粋なものが多かったのでしょうね。
Posted by ノンノン at 2008年04月16日 23:48
詳しく教えていただいてありがとうございます。いつもは湖岸に近い道を歩いているので全く気がつきませんでした。
和邇の「ルーム橅」さんへはときどきお邪魔しますので、今度行ったときに見てきます。それにしてもなぜここにあるのでしょうね。
Posted by ミッチー at 2008年04月17日 11:26
ノンノンさんへ
さらし首なんて聞くとドキッとします、昔の話は何もかも信じられないです。
Posted by 吉祥吉祥 at 2008年04月17日 12:23
ミッチーさんこんにちは
そうですねいつも湖岸よりを歩かれておられるようですね、今後は国道沿いを歩く計画とかもなさっておられるのでしょうか。
Posted by 吉祥吉祥 at 2008年04月17日 12:26