琵琶湖汽船営業開始130周年
表題の通り琵琶湖汽船が営業130年なんだそうです。明治19年の12月に設立された湖南汽船の設立日が、そのまま琵琶湖汽船の創立日となっています。琵琶湖汽船の前身は太湖汽船でその前身が湖南汽船、湖南汽船の前身が航安組でその前身が(紺屋ヶ関汽船と山田汽船)。なんとまぁ~複雑な事ですそれもそのはず130年の琵琶湖の湖上交通の歴史があるのですからね。詳しくはこちらの
琵琶湖汽船のHPを見てください。
子供の頃琵琶湖の畔で育ったもので、近くには太湖汽船の元船着き場の桟橋が石垣が崩れはしていましたがまだ残っていました。近くを通るとだれかれとなく、ここは昔、太湖汽船の大きな船の乗船場やったんやでとよく耳にしたものでした。また親父の口からも度々太湖汽船の話は出てきたのですが、なにぶんまだ幼少だったもので詳しい話の内容は覚えていません。今思うともっとしっかりと聞いておくべきだったと後悔しきりです。それと小学生の頃、浜辺で遊んでいると夕刻の4時半頃に、琵琶湖汽船の玻璃丸が浜大津に帰港するためえい航していました。当時は時計など持たせてもらえなかったので、この玻璃丸が通ると家に帰る時間の到来で、いずれも懐かしい思い出話です。
明治19年の湖南汽船は正しくは湖南汽船会社でまだ(株)はついていません。その前身の紺屋ヶ関汽船と山田汽船は明治の初期に設立された渡し舟屋さんで、まだ会社組織ではなかったみたいです。厳密に云えば琵琶湖汽船創立はここまでさかのぼっても良いのではと思っています。
で、紺屋ヶ関汽船は大津の米問屋の谷口嘉助と云う方が、現在の中央小学校の辺りで関、港を浚渫されました。一方山田汽船は山田の杉江善右衛門と云う大地主さんが山寺川を浚渫して船着き場を開港されました。当初はそれぞれ個人運営の渡し舟屋さんだったのですが、のちに二人が合併して湖南汽船と云う会社をたちあげられました。のちに(株)となって谷口さんが社長で杉江さんが専務となられます。なので琵琶湖汽船の発祥の地と云えば大津の島が関付近と草津の元山田と云うことになると思うのですがね。
もう一つ面白い話は明治、大正期は鉄道運賃が高かったそうで、草津から大津に行くには船賃が安い航路が賑わっていたそうです。そこで当時まだ私鉄であった関西鉄道(今の草津線)が、草津駅~山田港までの線路を計画したそうです。草津~野村町を通って笠縫から山田港です。結局この計画は種々問題があって建設されることはなかったのですが、もし出来ていたら今はどうなっていますかね。山田港驛見たかったですわね。他にも面白い話がありますがそれはまたの機会にということで、お後がよろしいようで。
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