聖衆来迎寺の虫干し

吉祥

2009年08月17日 13:18


 
昨日阪本にある聖衆来迎寺の虫干しに行ってきました。毎年8月16日に行われる年中行事
であるが、お盆の暑いこの時期に行われるため毎年、今年はやめて来年にとなっていました
が今年ようやく意を決して行くことができました。


この来迎寺には信長の焼き討ちの難から逃れた寺宝が、数多く残されていることで有名な
ところで、以前から一度は見てみたいと思っていました。
焼き討ちから難を逃れた説はいろいろとあるようですが、一般的に言われているのは、浅井
、朝倉連合軍は姉川の合戦後京に上洛の道中坂本で信長軍と再度戦うことになった。姉川
の合戦で雌雄の決着がついたともいわれるが、そうでもなかったようで再度ここ阪本で合戦
が行われたようです。

この阪本の合戦のおり信長方の森可成宇佐山城主が戦死したのですが、当時の来迎寺の
住職は浅井、朝倉に加担すべき立場であったにもかかわらず、その亡骸を浅井、朝倉方か
ら取戻し手厚くこの来迎寺に葬った。信長は元亀2年の焼き討ちの際この来迎寺だけは火
をつけるなと言明したといいます。比叡山三塔の各寺院から多くの寺宝がこの来迎寺に運
ばれたと伝えられているそうです。


仏像、什器、書画と重要文化財が堂内には数多く展示していました。なかでも特に有名なの
は15幅からなる六道絵。普段奈良、京都の国立博物館と琵琶湖文化館に預託されている
ようだが、このうち3幅だけ本物が里帰りしていました。本堂にずらっと模写が並べられて
いましたがこの模写といえど200年前に模写されたとか話しておられて驚きました。
写真は禁止されているので残念なのですが、もう少し来迎寺のこと事前に調べていくべき
だったと後悔しています。


森可也の墓

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