五個荘金堂見て歩き

吉祥

2014年10月22日 15:11

 

先月に五個荘金堂地区を訪れました。ただその日は年に一度のイベントの開催日とかで大賑わいでした。なにぶん初めての見参で静かな時にもう一度と思いました。場所はもう分かったので急ぎプラザ三方よしに車を停めて金堂地区へ。

まずは何処からと思ったのですが、金堂のことを先ず知ってから歩きべしと思い、金堂まちなみ保存交流館に行きました。入館してしばらくすると2、30名からの団体と遭遇してしまいはじき飛ばされました^^。ここは無料の施設なんでぐるっと廻ってきて帰り際にもう一度来るかと退館。結局先月のイベントにもらったパンフレットから、金堂まちなみ保存館→大城神社→近江商人博物館→外村宇兵衛邸→外村繁邸→中江準五郎邸→五個荘観光センター→プラザ三方よしと見て歩いてきました。

(大城神社)

「おおしろじんじゃ」と思っていたのですがどうやら「おおぎ」と読むらしいです。厩戸皇子の創建と鳥居横の社の由来に書いてあり、そして小野妹子がどうのこうのとあるのですが、何のことか理解できませんでした。家に帰ってきてからこの小野妹子が気になり、しまった社伝をデジカメに収めておくべきであったと後悔しています。境内に入ると二階建ての蔵が、内部はおそらく吹き抜きになっていて曳山が入っているのではないでしょうか。先日地元の方から頂いたコメントによると、ここの例祭で担がれる神輿は何でも国宝級の優れものだとか。一度見てみたいものです。

(五個荘小学校)

大城神社から近江商人博物館に向かったのですが、手前の小学校には圧倒されました。こんな小学校みたことない。校門じゃなくて長屋門風の校門。小学校にしては贅をかけたんでしょうね。つい寄付はいくら集まったんやろうかと邪見なことを考えてしまいます。

 
今、NHKで放映中の人気の朝ドラマ「マッサン」。私は見ませんが家内は毎日熱心にみています。ニッカウヰスキーの創始者竹鶴政孝氏の奮闘記らしいですが、このドラマで出てくる住吉酒造と云うのは近江商人発祥の酒造会社らしいです。私は見ないので分からないのですが、住吉酒造の社長役で西川きよしが出演されているらしいですね。

展示掲示物に近江商人がルーツとする企業一覧があったのですが、何とこの五個荘から現在でも活躍する企業として、外市㈱、小泉産業㈱、ツカモトコーポレーション㈱、外与㈱、市田㈱、株式会社コスギ、株式会社ワコール等が五個荘がルーツなんだとか。
あのワコールが五個荘とは知らなかった。ワコールの創始者の塚本幸一は八幡商業出身だとは聞いていましたがてっきり八幡の方だと思い、五個荘出身とは知りませんでした。時代が終戦後なので近江商人とは言い切れないと思うのですが五個荘出身には変わりありません。

ワコールの本社知ってはりますか。現役のころですが仕事の関係でよく西大路に行くことがありました。JR西大路駅を降りて大阪よりにしばらく歩くと、ガラス張の瀟洒な建物が見えます。そこがワコール本社。一般的に会社というと塀に囲まれて、入口に社用門があって受付にガードマン立っていてというイメージですが、あそこの会社は塀がありません。そして社用門もありませんし、何と言っても容積率に余裕をもって建てているので、全体がすっきりしています。四方八方ガラスで建物の構造はどうなっているのでしょうかね。

(外村宇兵衛邸)

外村宇兵衛(1777ー1820)は近江商人であった六代目外村与左衛門の末子で分家したとあります。明治中期の最盛期には全国長者番付に名を連ねた豪商だったとか。また隣の外村繁邸はこの宇兵衛家の分家なんだそうです。外与㈱は本家の外村与左衛門がそのルーツらしいです。

(外村繁邸)

今、この外村繁邸で福山聖子絵画展が開催中です。画像は先日朝日新聞に掲載されたスケッチ画と同じ場所の目線から撮影したものです。そしてこの建物は繁邸となっていますが、親は吉太郎。四代目宇兵衛の妹みわに婿養子を迎えたのが何でも始まりなんだそうです。それにしても普通マスオさんは男系の後継ぎが無い場合迎えるのであって、兄がいるのに妹が隣地に分家を構えることの不思議さといったら何と言えばよいのかです。やはりお金持ちのなせる業なんでしょうね。
ところでこの外村繁ですが、作家として名を成すようですが東大の経済出身だとか。なんでも自分には商才がないので、弟に商売の方は託して文学の道に入られたお方なんだそうです。

(中江準五郎邸)
 
先月に一度来たので今日はやめておこうかなぁと思ったのですが、3館共通の入場券も買ったことだし行くことにしました。この中江邸ですが男5人兄弟(4男は亡くなったみたい)で4人でもって、百貨店経営を行っていたらしいです。昭和の初期朝鮮半島から中国にかけて、三中井百貨店という店舗を20店舗近く所有し一時は何でも三越をしのぐほどの売り上げを一代で築きあげたなんだそうです。
ところがその百貨店も先の大戦の敗北により、全財産没収により瓦解してしまったそうです。館内の写真で見たのですが京城(現在のソウル)の百貨店などは威容を誇っています。無一文となって引き上げてきたそうですが、その胸たるや想いを察します。


中江準五郎邸では常設展で小幡人形が展示されていました。小幡人形聞いたことあります。何年か前に年賀はがきの切手に採用されましたよね。この小幡人形ですが初代は安兵衛と云う方が、今から300年ほど前の江戸期に初められたなんだそうです。それと云うのもこの安兵衛さん飛脚だったらしいです。ところが飛脚業といもの不安定なもので、たびたび追いはぎに出くわしたり恐喝に遭い困っていました。そこで考えたのが京都通いで知っていた伏見人形に弟子入りしその技術を習得されたなんだそうです。

素朴で色彩がなんと言っても綺麗です。昔は五個荘小幡地区で何軒か製作者がいてたそうですが、現在細居源悟家一軒のみとなってしまったそうです。伝統郷土民芸品と云える土づくりのこの人形、いつまでも続くといいのにね。

最後にこの準五郎邸でNPO法人の方らしき男性がおられて、金堂地区の四方山話を聞くことができました。ここでも途中に県立大学の生徒さんが入館されてきて(この学生さんらの対応のためおられたのかも知れません)、そちらの方の対応にまわられました。出来ることならもう少しお話きかしてほしかったのですが。

いい庭ですからぐるっと回ってぜひ庭の方も見てやってください。見てくださると嬉しいです。そして金堂地区に来て下さるとうれしいですとのお言葉残して学生さんの方に行かれました。

静かで落ち着いた街、金堂。何かの機会があれば何度でも訪れてみたくなりました。まだまだ書きたいことことがあった筈なんですが、今回はとりあえずここでお後が宜しいようで。











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