足利将軍の滞在地

吉祥

2017年09月18日 16:25

最近と云っても昨年からのようだが応仁の乱の本がよく売れているそうだ。応仁の乱の事はよく知らないのだが、細川なんとかと山名宗全とで争われた覇権争いだと聞いたことがある。でもこの内乱だが東軍と西軍それと後の戦国武将まで巻き込んでの戦いで何のことかよくわかりません。家臣団が将軍家を追いやったかと思うと、しばらくするとまた和合したりとまあ~複雑この上もない。

この滋賀には追いやられた将軍が短い期間であるが滞在した地がある。朽木と守山の矢島それと少し内容が違うが栗東には陣所があった。今日は台風一過で天気もよく、守山に行ったついでに矢島御所に寄ってみた。

 

室町幕府最後の将軍となった足利義昭が1年4ヵ月の間滞在していた伝わる矢島御所跡ですが、周りを見渡しもそれらしき遺跡は何も残っていないようです。現在矢島自治会館となっていました。

 

矢島自治会館のすぐ近くに少林寺と云う臨済宗のお寺があります。足利義昭は奈良興福寺の僧侶だったようですが、兄の義輝が三好三人衆によって暗殺された為還俗してこの少林寺に身を寄せたらしい。



すごく立派な寺で門から中をのぞくと庭がよく手入れされているのが見て取れました。門の前の家の主人が玄関を掃除されていたので、お話を伺うと別に中に入ってもいいのではないかとの事でしたが何となく気後れして中に入ることはしませんでした。またいつかの機会にと云う事にしておきます。



「不許葷酒入山門」禅宗のお寺ではよく見る石碑で、くんしゅさんもんにいるをゆるさずと読むらしいです。要するに酒を飲んで入ったり、臭いのするものニンニクとかラッキョウなど食べて入ってはいけないそうです。戒律が厳しい宗派なんで肉とか魚食べて入ってもあかんのと違うやろうか。

始祖足利尊氏が南朝を倒して室町幕府を開いたのですが、鈎の陣でなくなった義尚以降の将軍さんは多難だったみたいです。応仁の乱で都の多くの神社仏閣が灰燼となったようですが、今で云う文化財が多数なくなったのでしょうか。のちのち義昭は信長に滅ぼされて戦国時代となったようです。






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