堅田の街を歩きました。
土曜日のことですが、近江歴史回廊大學で湖西湖辺の道現地研修ということで、堅田と高島の町並みを散策してきました。
ここ野神神社には勾當内侍の御廟があります、勾當内侍とは宮中内侍局あったものであり女官の地位では上位職でありました。後醍醐天皇に仕えた忠臣新田義貞の妻で、義貞が足利尊氏にやぶれ越前に奔走する際勾當内侍は当地に取り残されてしまい、上京を待ったが義貞は藤島の戦いで戦死した。この悲報を聞きつけた勾當内侍は、気が狂い琴が浜(野上神社の東側の浜辺)で入水自殺したのである。この神社の奥に塚がありました。
堅田は内湖が入り江が入り組んでいました。今も僅かですか残っていました、また町中をあるいてみると虫篭窓がついた古い民家もありました。
出島灯台、湖にある灯台は全国的にも珍しいものです。
居初家は古くは豪族であり後湖上交通、漁業の特権を与えられていました。茶室から見る庭園は琵琶湖を借景にさつきの花がなんとも綺麗でした。
一休和尚ゆかりの祥瑞寺(臨済宗)
一休和尚はここに23才から10年間修業されました。
光徳寺の源兵衛の首の話
堅田の漁師源兵衛は、浄土真宗中興の祖蓮如が法難を受け三井寺に預けた宗祖親鸞の御真影を取り戻すため、自らの首を差し出しました。今もここに首があるそうです
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