2月の初め町内のTさんに、栗東の金勝寺と狛坂廃寺を案内してもらえないかと相談を受けた。断ることはないので二つ返事で承諾し、その場で行く日も決めた。ところが当日の朝、雪がちらつき比叡山は裾まで白くなっているではないか。
たかが金勝山ではあるが、これでは無謀もいいとこでややもすると、素人登山では遭難の可能性もあるのではと考えた。電話で相談すると知り合いの方も延期と言うことで納得してもらった。
後日改めて日を相談すると、磨崖仏は春に行くことにして歴史ウォークをやらないかと言うことに相なった。二人ではなんなのでもう一人Kさんをお誘いすることにした。Kさんも二つ返事で参加したいとの連絡を受けた。
こうして町内の知り合いで歩くことにした。三人とも初老を過ぎて中老で、濡れ落ち葉の三枚組が出来上がった。
とりあえず街道ウォークから始めることにした。県内に住んでいて三人ともまだ東海道も中山道共に歩いていないと言う。私は部分的には歩いているのだが、線として繋がっていなくて、かねてから県内の東海道と中山道の宿場だけは歩いてみたいと考えていたところであった。
と、言うことで渡りに船で、先ずは追分から膳所若しくは石山まで歩くことにした。しかし追分だと山科まで電車で行くことになるので、同じ行くならスタートだけは三条大橋からにと決まった。京発ちの石部泊まりとか言うらしが、とりあえず今日は大津までにと変更することになった。
笑われるかも知れないが、京阪三条駅の変わりようには驚いた。昔の地上の京阪三条駅しか知らなくて、初めて地下駅に降りたった。Kさんの道先案内で三条大橋側の出口に出ると、写真の風景だけは昔のままだった。駅前のキャバレーべラミはもうなかった。
「白川橋袂の道標、大津側から写しています」
天気もよくて絶好のウォーク日和。足取りも軽く一路大津を目指すことにした。歩いて暫くすると地下鉄東山駅前まで来た。ここは車でよく来るところで、足を止めて説明することにした。この川は白川で源流は比叡山で、見たとおり京都市内を流れる川とは思えないと。なんでも夏になると蛍が飛ぶらしいと言うと、二枚の濡れ落ち葉は驚いていた。
そしてここから東に行けば華頂短大があって知恩院に行けるが、その手前に明知光秀の首が埋まっていると伝わる首塚があるが、行くかどうかと聞くと折角だから行くと言う事になった。
祠の前で簡単に首塚のことを紹介して、この祠を管理しているのが餅寅さんで実は私の知人であることをつけ加えた。
店に寄ってもよかったのであるが、まだ歩き始めたばかりなので寄らないからと二人に告げた。と、店前を歩いたらなんとお客さんがいてて息子さんが対応しているではないか。私の顔を見るなりびっくりした顔をして、女将さんを呼んだ。こうなるとせめて挨拶だけはしないわけにはいかなかった。女将さんは中に入って、お茶でも飲んでいくようにすすめられたが事情を話して寄らなかった。
首塚、餅寅さん、そして餅寅さんが経営する白川庵のことを説明し、京都東山附近で宿泊を考えているなら是非とも贔屓にしてやって欲しい旨をつけ加えた。
【首塚、餅寅、白川庵については、当ブログのカテゴリーを見てください】
蹴上のインクラインの石垣に使われていた車石ですが、このあとも車石は方々で見ることができた。
山科駅を通過して追分道標から、大谷近くになって同行のTさんがこんなことを言った。この辺りに食べさしてくれるとこがあるみたいだけど何やろうと。何でもTさんはサイクリングが趣味とかで、サイクリング車で京都まで行くのだそうだ。ある日この附近でお客さんが中に入っていくのを見たのだと言う。
それって月心寺の事ではないかと言ったが分からないとの返事。それでああでもこうでもないと話し乍歩いていると、月心寺前まで来てしまった。
ここで走井餅のこと、橋本関雪のこと、庭園のこと、井戸水のこと、尼にのゴマ豆腐のこと、算盤と大津絵の事など知っている精一杯の説明をした。
このあと大谷で昼にして、一路大津宿に向かうのだが大津のことはまた後編で言うことで今日はここまでで失礼します。