5月5日は芦浦観音寺へ

吉祥

2013年04月16日 13:05



今月の初旬に町内の方々と東海道の大津~草津まで歩きました。その折草津矢倉の東海道と矢橋街道の分岐点で、矢橋港は今はどうなっているのかと訊ねられた。聞いてみると皆さん行ったことないと言います。
その時今日は無理だが、矢橋港跡ぐらいなら日々の散歩程度で行けるので、いつでも案内してあげるよと言っておいた。早速みなさん昨日は空いているので歩こうと言うことになりました。そしてまた一人ウォーク仲間に入れてほしいと、地元出身の方が申し入れされた。とまあーそんな事で4人で昨日歩いてきました。

光泉高校裏側にある西光寺境内にあるムクロジの木を見て、山歩きを趣味とするKさんが種が落ちていないかと言う。ムクロジの種は堅くて羽子板の玉になるのだが、以前数珠を作ったという。羽子板の件は知っていましたが、数珠を作ったとの話しには器用な方もおられるのだと感心感心。

ここから猿田彦神社から鞭崎神社を通って、矢橋港跡の公園で弁当を広げました。食べながら昔話しに花を咲かせ楽しかったなあ~。この公園から歩いて10分程の所に、石津寺と言う寺があって重要文化財の建物だが、多分無住で中には入れないので行かないと云ったら行ってみたいと云います。
この寺の言われは今は真言宗なのだが、元々は天台の伽藍で最澄自らが彫ったという薬師如来が本尊であった。ところが江戸時代に徳川家の菩提寺とするため、東京上野の寛永寺を造営したときに持っていってしまいました。と言ったら一様に驚いていました。

あと同じ道を引き返して帰ることも考えたのですが、山田港の杉江善右エ門翁の記念碑を見て、北山田から旧草津川を草津駅まで歩きました。参加者の一人から来月の4日に芦浦観音の落慶法要があり、5日に春の一般公開があるのだが今年はこの落慶法要のため5日のみの公開とかで行かないかと誘いを受けました。
新しくなった本堂を訪ねつつ、常盤界隈を紹介してくれないか旨言われたので即座にOKしました。



それで5月5日はウォークで下記の順で歩いて紹介してあげたいと思っている。
下笠の老杉神社(本殿は重文で彩色の蟇股に一見の価値が)→北大萱の宝来寺(この辺り一帯は白鳳寺院があったところで史跡指定されている。宝来寺には重文の仏像一体が安置されているが、秘仏とのことで何人も拝観することができないらしい)→穴村のもんや(大正から昭和の20年代にかけて、子供の夜鳴きかんむしに効能があるとかで大賑わいだったとか。そうもくと云って、米の粉を炭火で焼いて醤油のたれを付けの素朴な味のダンゴが有名だったが今は予約制だとか)→安羅神社(祭神は新羅の皇子の天日槍命(アメノヒボコ)で、満州国の総務長官であった駒井徳三氏寄贈の石の鳥居も見もの)→長束の春日神社(長束村は五奉行の一人で水口城主であった長束正家の出身地、春日神社の南隣に正家の館があったらしい。関が原の戦いで三成が勝利していたら、彦根城は草津に来ていたかも)→印岐志呂神社(旧社格では縣社。何度も戦火に遭い、今の建物は明治の建築物らしいがこれほど立派な神社はそうそう無い)→芦浦観音寺(境内は春と秋しか一般公開はしていない。それ以外は事前予約。書院と阿弥陀堂は重文で近江の正倉院とも呼ぶらしいが、寺宝は全て博物館に預託されていて見られないのが残念)→花摘寺跡(白鳳寺院跡で天満宮には礎石が残っている)→太湖汽船時代の志那港(太湖汽船の切符売り場が現存している)→蓮華寺(山崎宗鑑の句碑と重文の蓮華寺)→志那神社(本殿は一間社の小さいながらも重文で藤の花の見学はここでは無料)→惣社神社(栗太郡に八社ある式内社のうちの一社で、藤で有名な三大神社はここの末社。ここにも立派な藤の木がある)→下笠の宗栄寺(横井金谷翁のお墓があり一代記の出版を記念した太陽の子の記念碑がある)


関連記事