江若鉄道の思い出展から
昨日は今、大津市歴史博物館で開催中の「江若鉄道の思いで」展の講座に行ってきました。江若鉄道展は今回で3回目なんだそうです。ただ第1回は滋賀の鉄道展で江若鉄道単独ではなかったようです。第2回はについては私も行きましたから知っています。学芸員さんによると、おそらくこれが最後となる江若鉄道展になるのではないだろうかと言うことでした。
講座内容については、過去の江若鉄道展で行われた際に訪れた方々から頂いた思い出話や、江若鉄道OBの方々から見聞きした話の紹介でした。聴講に参加された方は、ざっと数えて100人は超えていたのではないかと思います。廃線となってから50年近くにもなるのですが、私もそのうちの一人なんですが今もって懐かしむ方々が大勢いらっしゃるんですね。
参加されている方々のお顔を見てみると、ほとんどの方が年配の方々で、乗った経験がありそうな顔ぶれでした。今日の講座を説明してくださる学芸員さんは、江若鉄道が廃線となる時はまだ生まれていなかったとかで、今日は聞き語りに徹しますとのことでした。
私は江若鉄道については20年近い付き合いがあり、とりわけ廃線となる直前の3年間は高校に通うのに利用していました。そのようなわけで講座内容については目新しい話はなかったのですが、先日先に企画展を見た折OBの方が撮られた写真の中にあった、水耕農園については知らなかった内容でした。
この水耕農園ですが今のJR唐崎駅付近にあった進駐軍施設なんだそうです。昭和の20年代から30年にかけて、進駐軍が水耕でもって野菜を作っていたとか。関東の方にも1か所あって関西ではここにあったそうです。わざわざ大がかりな設備でもって、野菜を作らなくてもよいのでは思うのですが、その理由についてはやはり自分が想像していたことでした。
子供の時だれかれとなく聞いたのですが、アメリカ兵さんは野菜は生で食べるらしくて煮炊きしないらしい。なので日本産野菜は安心して食べられないとか聞きました。勿論進駐軍時代の話ですがね。この話はひよっとしたら、この後に唐崎の水耕栽培施設の話がくっついていたのかも知れませんね。この水耕施設廃線となる直前まで一部が残っていたそうなんです。JRの唐崎付近と云えば唐崎中あたりですよね、あの辺りは江若時代はうーん、、、。
講座終了となったのですが、前々回のブログ記事の「江若鉄道と進駐軍」の三井寺下駅からの引込線が気になって、現地に確認に行きました。確認と云ってももちろん何も残っていないのですが、せめてもその方角だけでも思った次第です。
写真は三井寺下駅あった場所で奥にキリン堂が写っています。このキリン堂の場所に本社があったとか。私が立って撮影している所は長等市民センター前で、ここから大きく左にカーブしていて現在遊歩道となって市民の憩いの場となっているようです。自分の同級生には大津商業高校に進んだ友達が多くいて、この三井寺下駅から乗降していたのですが、どの道を通っていたのかなあーと見渡しのですがわかりませんでした。三井寺下駅の地図を見ると市民センター前の道路は駅のホーム。そしてここから浜大津に向かって左側を見ると次の写真です。
かなり年期が入ったレンガ塀がそこにありました。ホームがあった場所と思われる所の琵琶湖側で、気動車が駅に止まると絶対このレンガ塀を見ていたはずなんだけどなあー。三井寺下駅は2度ほど乗り降りしただけでほとんど記憶には残っていません。三井寺下駅に限らず途中下車したりしなかったですから、殆どの駅は知らないのですが思い出話だけは残っています。
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