草津歴史発見塾に行ってきました。戦国時代の九里半街道と言う事前の案内でしたが、草津宿とは
直接関係のないテーマなので疑問には思っていましたが、同じ街道沿いということで奈良大学
の河内准教授に講話をお願いしたようです。別に草津だけの歴史を聞きたくて、来ているのではない
ので私はよいのではと思っています。
昨年の八日市であった歴史回廊大学で聞いた、今堀日吉神社文書と保内商人が話しの中にでて
きましたので興味をもって聴講することができました。
九里半街道は今津から小浜に通じる街道で、若狭からの海産物を商人が運ぶのに、中世から
利用されていました。地元の高島南市の商人と湖東の小幡、薩摩、八坂、田中江(この五商人
のことを五箇商人とよぶ)五箇(ごか)商人でもって商いが行われていたが、保内商人(八日市)との
間で街道の利用権で相論となった。結果的には裁判で保内商人の言い分が認められることに
なるのだが、これらのことは八日市にある、今掘日吉神社に残されていた古文書に詳しく書かれて
いる。
この今堀日吉神社の文書であるが、中世の商いの事柄について詳しく残っている少なく
貴重な資料らしいです。今堀日吉神社はどこにもあるそれほど大きな神社でもないらしい。
そこに昔から木箱に納めらており開かずの文書、大正年間に蓋が開けられ貴重な文書資料として
、国指定の重要文化財となり現在滋賀大学の資料館に保存されているようです。
この文書、中世のことを勉強するものなら、知らない者はいないほどの有名なものだそうです。
小幡は小幡人形のとこだと思うし、八坂は彦根、田中江は八幡にいずれも現在地名として
残っています。保内商人が近江商人とはならなかったようですが、結構面白い話を聞くことが
できました。ところでこの九里半街道には熊川宿があるのですが、まだ行ったこともありません。
何度か若狭には行っているのだが何時かの機会に寄ってみたいですね。