2013年04月21日

小関越えを歩いてきました

 

先日南草津の歴史サークルで小関越えを歩いてきました。事前にコース案内を貰っていたのですが、しっかりと読んでいなかって小関越えを歩くとは知らなかった。京阪で大谷駅まで行って、そこから国道づたいに大津まで下ってくるものと思っていたら、藤尾学区から小関越えで長等公園を目指すといいます。私は構わないのだけど、それより皆さんのことが気がかりです。なぜならこの小関越えですが、以前大津方面から山科向いて歩いています。その時の記憶として結構坂がきつかった印象が残っていたからです。

大谷駅から月心寺前を抜けて、国道を横切って藤尾小の方に向かいました。複雑な住宅地を曲がりくねって進んだのですが、山科近辺の地理に疎いので何処を歩いているのかよく分かりませんでした。

やがてJRの長等トンネルの出口の上を通過。電車に乗って車窓から見えるを光景を、トンネルの上から鳥瞰で見ることになり感慨ひとしおでした。やがて疎水が見えて、そうや以前歩いた時はこの疎水べりを山科駅向いて歩いたのだったけ。
今回は山科側から大津をめざすということで、ここからが小関越えの入口となります。暫くすると分譲墓地ありますの看板が建っていて思い出しました。すると今回の案内役さんがお堂の中に入りました。

説明によるとここに磨崖仏があって予約制で、事前に予約を済ませているから少し待ってほしいと言います。磨崖仏と聞いてハット思いだしました。何年か前に瀬川なんとかさん著の近江の石仏と言う本で、大津市の藤尾磨崖仏が紹介されていました。一度見てみたいとは思ったのですが、この藤尾地区のことは全くしらないので諦めてそのままになっていました。前回のウォークでもこのお堂の前を歩いたのですが何ら説明はありませんでした。
暫くすると坊守らしき方がお堂開けて下さって中に案内されました。ここの磨崖仏は磨崖仏を建物で囲っていて外陣から拝観するんですね。2.8m×5.6mの大きな岩に、中央に阿弥陀如来の坐像、左に地蔵菩薩立像右に観音、勢至、釈迦如来の立像が彫られていました。何でも三井寺を開基した智証大師円珍が彫られたものだとか。
又この磨崖仏の右端部分は少し赤く焼けただれているように思われます。これはなんでも信長の焼き討ちによって、この辺りの坊も燃やされた結果なんだそうです。

このあと喘ぎ喘ぎ小関越えで大津までたどり着き、蝉丸神社、長安寺の牛塔などを見学して帰路につきました。今回は綿密に事前下見もされたようで、滅多に見ることができない所を案内してもらい、峠越えが少しきつかったようですが皆さん好評でした。来月は私が案内役で堅田を案内することになっています。今回丁寧に紹介されたのでなんか荷が重くなりましたが、近々にでも一度堅田へ下見に行ってこようと思っています。  


Posted by 吉祥 at 10:20Comments(8)近江歴史回廊
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