2012年07月01日

大溝祭

大溝祭

昨日は近江歴史回廊大學の講座を受講するため高島に行ってきました。今年歴史回廊大學の祭りコースを受講中で、この日は「高島の祭り、大溝祭り」と題して高島市役所の山本晃子さんの話しを聴いてきました。
講話の後は大溝祭りが行われる街中と、祭礼が行われる日吉神社を見学してきました。

高島市は以前高島郡でしたが、町村合併で4町1村が合併してできた市です。市町村合併で県内の町名がよく分からなくなってしまいましたが、旧の高島郡は県内ではかなり大きな郡ではなかったかと記憶しています。

その広いエリア内で行われる祭りは、種々雑多のようで数多くの祭りが現在でも継承され行われているとのことでした。まだ高島の祭りは一度も見学したことはないのですが、この日写真で祭りの様子を説明された中で、海津の力士祭り、七川祭り、大溝祭りは毎年新聞報道等で知っていました。

大溝祭

講座の前半は座学で高島の祭りを紹介していただいて、後半は高島の街を散策しつつ大溝祭りの現場紹介をしていただきました。

大溝祭りは一枚目の写真の日吉神社の祭礼です。日吉神社は849年に天台宗であった長宝寺の鎮守神として、坂本の日吉大社より勧請したと言い伝えられているようです。しかし神仏合体であったため長宝寺は焼かれ、神社も著しく衰退していき氏子衆も数えるほどになってしまったらしい。

その後江戸初期に伊賀上野より分部光信が入封して、この日吉神社を城下の守護神として再興したのだそうです。

大溝祭

山本さんによると、大溝祭りは元からあった日吉神社の神輿渡御と、伊賀上野からもたされた曳山巡行が合体された祭りだとか。

大溝祭

曳山は5基あって、この道を通って日吉神社にお座する神輿の神をお迎えにいくのだそうです。曳山は5、5mあって、湖西線ができた折曳山が高架のコンクリートで通れなくなったそうです。そこで道を逆に掘り下げて曳山が通れるようにしたと話されていました。

大溝祭 大溝祭

いまも町内には3軒の武家屋敷が残っているそうですが、文化財の指定はないようです。それといずれも個人の所有のままなんだそうです。参加者の方の一人が貴重な文化財、なんで高島市が買わんのやと。
どこの市町村も今は財政難らしくて、ご他聞に洩れず高島も同じだとか。

大溝祭

山本さんは大溝の祭りの紹介と、高島城下町の案内もしてくださいました。


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Posted by 吉祥 at 10:06│Comments(8)祭り
この記事へのコメント
こんにちは~♪

大溝といえば・・・
あの大溝城のあったところですか?
確か織田信長の甥の...う~ん、、何とか、なんとか云う人のお城ですね~(笑)
     (高島の城下町と書かれているのは大溝城下の事ですか・・?)
Posted by DreamDream at 2012年07月01日 11:07
よかったですね、大溝祭りと高島散策。
 先週戦国の道があってすぐですね。ラジオで解説聞くのですね。
 萩の露の中の庭きれいにしてはるそうですわ。TVでやってました。
でもここは土日休みやから入れてもらってないと思います。
 最近この萩の露も美味しいお酒をつくるようになりましたね。
Posted by そば打ちおじさん at 2012年07月01日 11:12
吉祥さん こんにちは~♪大変、ご無沙汰しております。ペコリ。ペコリ。

楽しそうな大学(講座)に、通っておられるのですね。
個人で行くよりも、このような講座に行くと、普段は、拝見出来ない場所や、裏話が聞けて楽しいですよね。
この講座関係は、毎回、土曜日受講ではなかったですか?記憶違いなら、スミマセン(>_<)
吉祥さんのコメント内で、他の方のコメントに反応してしまい~大変失礼なのですが・・・大溝城なら、織田信長の甥っ子「信澄」の城ですね。ニコッ (^-^) アレレ~違ったかな~(笑)
当方、ブログ~ボチボチ再開致しました。今後とも、よろしくお願い申し上げます。ペコリ(^-^)ノシ
Posted by プーちゃん(PU-ちゃん)プーちゃん(PU-ちゃん) at 2012年07月01日 11:47
吉祥さん、今日は。高島市の「大溝祭」は、今年見に行くつもりで準備万端でしたが、雨となり来年廻しにしました。行くにあたってはインターネットで色々調べていたのですが、曳山が伊賀上野からもたされたとは知りませんでした。曳山祭りでは、今年は長浜以外、日野、水口、高島と雨に見舞われ残念でした。
Posted by kobatoan at 2012年07月01日 14:04
Dreamさんへ。
こんにちは。大溝城を築城したのは信長の甥の信澄ですが、光秀の娘婿でもあるようです。それで本能寺の変のあと自害したそうです。
大溝城主はその後も度々変わっているのですが、私は大溝藩といえば分部氏の印象が濃いです。
大溝城は江戸時代にも現存していたと思っていたのですが、1585年に取り壊されてしまったらしいですね。

高島の城下町は大溝城下のことです。高島市になるまえはここは高島町だったもので高島城下と書いてしまいました。現在大溝と言う地名は残っていないと思いますが。
Posted by 吉祥吉祥 at 2012年07月02日 08:51
そば打ちおじさんへ。
前回から現地研修に出たときは、イヤホーンで聴くようになりました。この代物ですが何か善し悪しですね。どう思われますか。

周波数の微調整がすぐくるってしまいます。調子のよい時は先生から離れていてもよく聞こえて良いのですが、直ぐにザーザーとなって調整しないといけません。その間先生の説明がとんでしまいます。

萩の露の中には入っていません。そしてここは説明もありませんでした。前の道を歩いたから写しただけです。
Posted by 吉祥吉祥 at 2012年07月02日 08:58
プーちゃんへ。
こんにちは。歴史回廊大學は4回入学して3回卒業しました。今年の秋には4回目の終了証書をもらうことになるでしょう。
3回目で打ち止めと思っていたら、昨年新たに祭りコースが新設されて行く羽目になってしまいました。

基本的には土曜日開催ですが、講師の方の都合もしくは会場の空きの関係かと思いますが、日曜日開催もあります。
このように現地研修は諸先生方の説明付きですから楽しいです。

大溝城を築城したのはそのとおりで信澄です。よくご存知ですね。
Posted by 吉祥吉祥 at 2012年07月02日 09:04
kobatoanさんへ。
今年は雨だったそうで、先生の写真も曳山がビニールで覆われていました。曳山蔵では保存会の会長さんがいろいろと説明をしてくださいました。

祭りの運営も年々難しくなっていくそうで、ここも人出不足らしいです。囃子を奏でる子供が少子の影響で、昔は女人禁制でしたがもうそんなこと言っておられなくなり、今は女子が屋台にあがって笛を吹いているそうです。

祭りは昔から時代の変遷とともに変わって行くそうですから、私はそれでよいと考えますがどうなんでしょう。
今の時代に女人禁制なんてあり得ますかね。

それと綱引きも足りそうですよ。
来年から一般募集するそうで、是非とも参加してしてほしいとのことでした。でもこの日のメンバーでは無理ですよ。
Posted by 吉祥吉祥 at 2012年07月02日 09:12
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