2024年09月09日
「江若鉄道の思い出」講座に行ってきました。
先日当ブログにて開設されている「和邇まちづくり協議会」のブログ記事で、9月8日に江若鉄道の思い出と題してトークショーと和邇駅近辺の配線跡を歩くという、イベントがあるのを知りました。私にとっても思い出深い企画なので、参加したいのはやまやまなのですがこの暑さゆえどうするか迷っていました。こういった催しは大抵、事前申し込みが必要であったりするのですがここは申し込みが不要とあります。しかも参加費き無料。あまりにもゆるゆるなので却って参加意欲が萎えてしまいました。
ところがなんだけど当日の朝に(昨日のことなんだけど)やはり行ってみたくなり参加することにしました。この催しなんですが和邇まち協でみたのですが主催は「びわこ鉄道歴史研究会」とありました。どうやら鉄道ファンの集まりが主催のようです。まち協が広報しているぐらいだから、私はひよっとしたら幼馴染も来ているのではないかと想像していて、出会ったら60年ぶり近くになります。期待半分と恥ずかしさが半分のわくわくの当日の朝でした。
会場は和邇コミュニティーセンターとなっていたのですが、行くのは初めてなもんで会場入り口が分からずいきなりウロウロ。体育館で卓球教室に参加されていたシニアの方に北口ってどこですかねと尋ねたがわしゃ分からんとの事。60年前はここは志賀中学校があったところですが、半世紀以上も前となると何もかも様子が変わっておりました。勿論志賀中学はここにはありません。余談ですがなぜ志賀中学の名がついたかこれがまた面白い話なんだけど今回は省略です。
やっとの思いで会場に入ったら私を待ってくださったのかのように始まりました。司会者の挨拶が始まったのに、参加者のの方々のお顔をきょろきょろと見まわしたが、見たことある人は誰ひとりとしておられませんでした(ちよっとがっかり)。もっと多いと想像していたのですが30名足らずでした。名札を付けた人が半分近くおられたのですが、この方たちがびわこ鉄道歴史研究会のメンバーなのかも知れないです。
講座の方は福田静二さん(大津歴博であった江若鉄道の企画展で、名前だけは知っていたがお顔を拝見するの初めてです)が廃線直前に撮られた江若鉄道の各駅を紹介する話でした。私は確かに乗ってはいたのですが、途中の駅で降りたりしないから各駅の思い出らしい思い出はほとんどありません。浜大津、堅田、和邇の各駅とかろうじて日吉駅と比良駅ぐらいなもんです。
この後、元江若鉄道のMさんの案内で和邇駅近辺の跡地を歩いて廻りました。しかしそれにしても江若和邇駅近辺は変わりました。昔を知るものにとっては一抹の淋しさはあります。
トークの中で以前このブログで記事にしたことがありますが、和邇から京都の二条間に鉄道の敷設計画があったことが紹介されました。説明中では江若鉄道京都支線とのことでしたがそこんとこはどうかなと疑問があります。2,3点聞きたいこともあったのですが、当講座では質問時間は設けていないとのことで少し残念な思いでありました。
江若鉄道、和邇と聞くと反応してしまいます。いつかまたの機会があればと願っています。
2023年10月12日
昨日の朝日新聞から

昨日の朝日新聞の朝刊見て知ったのだが、江若鉄道の近江今津駅が2021年に解体されてしまっていたそうだ。近江今津駅は江若鉄道が残した唯一の有形建築物だったのに残念です。
たしか以前写真に撮ったはずだと探したら出てきました。2007年4月29日にブログ記事にしていました。
新聞記事では近江鉄道と江若鉄道の開業当初の建設資金について書かれていて興味深い記事内容であった。近江鉄道は彦根藩の士族や近江商人の財力でもって建設されたものであり、江若鉄道は当時の高島郡民の願いが結集された小株主で建設されたものである。その想いは今もって影響しているのか、大津歴史博物館で開催された江若鉄道企画展では盛況のうちに終え博物館図録は完売されたとある。一方筆者の弁によると近江鉄道は存廃問題が叫ばれている現在において、本社、行政が各種イベントを企画するが盛り上がりに欠けるのではとの指摘である。それは開業当初の流れかしての想い入れが影響しているのではなかろうかとの事である。
もしそうだとしたら、今、近江鉄道を支援するのに知事が進めようとしている、全国初の交通税の問題に少なからず影響があるのではないかと私は思っている。
2015年04月14日
江若鉄道思い出展終わりました
先月から大津市歴博で開催されていた、江若鉄道の思い出展が12日で終わりました。会期中にもう一度行くつもりだったのですが、身体の方が拒否してしまって結局行かずじまいとなってしまいました。歴博の学芸員さんの話によると、この江若展ですがこれで何でも3度目なんだそうです。おそらく今回が最後の江若展となると思いますとのことであったので、後々あの時にもう一度行っとけばとならないと云いのですが。
私も3枚ほど思い出を投稿してきました。掲示してくれたのかわからないのですが、このブログで書いたような事を書いてきました。江若の思い出なら書こうとおもえばいくらでもあるのですが、あまりも多いのもどうかと思って3枚にしました。前回の展示の時に書かれた皆さんの思い出を読ませていただきました。
中でも江若鉄道の元社員さんが書かれていた一編に、膳所から江若鉄道の浜大津までの現在の京阪電車の軌道は、国鉄用地であったと云うのがありました。このブログでも書いたのですが、親父によると江若の浜大津駅長は国鉄職員だと聞いていました。江若は膳所駅から貨物が入ってきていたので、その絡みで駅は国鉄財産だろうとあまり深く考えていませんでした。今回この膳所~浜大津までが国鉄用地だと聞いて少し気になったものですから調べてみると、意外な事を知ることになりました。
鉄道の歴史より古くから近江の国では、琵琶湖を利用した湖上交通が盛んだったようです。その歴史は秀吉の百艘船からすでに始まっているみたいです。考えによってはもっと昔の太古の時代の丸木船から始まっているのかも知れません。江戸末期から明治初期にかけて、湖南汽船と太湖汽船が琵琶湖の北部と南部に分けて営業されました。特に大聖寺藩資本による太湖汽船は塩津、長浜から大津にかけて北陸からの物資を運搬したようです。一方明治から始まった鉄道輸送は大阪~大津間、敦賀~長浜間に滋賀県内ではいち早く開通しました。そして長浜~大津間は航路があったので工事が後回しになったそうです。この長浜~大津間を運航していた太湖汽船は、何でもこれが日本最初の鉄道連絡船となるのだとか。
これでもって一応これで北陸からの海産物、米を京都、大阪まで大量輸送ができるようになったんでしょうね。
ここで知らなかったのですが、この大阪~大津間の大津駅とは江若鉄道浜大津駅があった所がそうなんだとか。そして大阪を出た蒸気機関車は、今の膳所駅があったところにあった馬場駅で一旦停車して、スイッチバックで大津駅まで運行されたそうです。この馬場駅滋賀県内の1号駅で全国でも19番目にできた駅だとか。そして当時はまだ今の大津駅はまだなかったとか。そしてこの連絡船時代より僅か数年後には長浜~馬場駅が完成し、連絡船時代は終焉となるんだそうです。そこでこの大津駅は一応お役御免となり、貨物の取扱だけは残って旅客列車は廃止となります。なので線路は東海道の支線なのですが、旅客扱いもしない駅が大津駅なのはおかしいとかで浜大津駅に改められました。そして県庁の所在地の大津に大津駅が無いのはこれまたおかしいと相成って、馬場駅が大津駅に変わったそうです。その後東海道のルート変更もあって大津駅が膳所駅に、そして今の大津駅が新駅として開業とかで大津をとりまく湖上交通史、鉄道史を調べたら面白いでしょうな。
ところでこの鉄道連絡船の太湖汽船は琵琶湖汽船の前身ではないそうですよ。太湖汽船は2社あったらしいです。
2015年04月03日
江若鉄道日吉駅の桜
朝から近くの公園を歩いてきました。桜が綺麗に咲いていて見事でしたが、お天気情報によると今日からしばらくの間下り坂とか。折角綺麗に咲いた花が散ってしまわないか気になるところです。
ここの所連日江若鉄道の記事ばかりなのですが、今日も飽きもせずに江若鉄道の思い出からです。
今のJR比叡山坂本駅の所に江若時代は日吉という駅がありました。江若鉄道の駅については、乗車駅となった我がふる里の駅と、終着駅の浜大津駅以外は殆ど覚えがありません。途中下車をすると云うことがなかったことを考えると、致し方無いのかもしれませんがね。
と云うことで記憶から消え去ろうとしている、江若鉄道の駅の中でもこの日吉駅は唯一覚えがある駅です。
この日吉駅~三井寺下駅の間には叡山、滋賀駅があったのですが両駅ともほとんど覚えてないです。日吉駅を出ると、今では考えられないのですがほぼ田んぼの中を走っていました。住居は京阪沿線、若しくは国道の161号線沿いに構えていたんだろうと思います。日吉駅は小さな駅で離合(行き違い)ができなかったんだと記憶しているのですがね。しかしここは比叡山中学、比叡山高校の生徒が多く乗り降りして、当時は賑わっていました。
先日の大津歴博の講座でも、廃線となった当日の写真を紹介されていましたが、古びた木造の小さな駅でした。が、この駅は今の時期すっごく綺麗な駅でしたよ。土盛りのホームに大きな桜の木があって、毎年満開に花を咲かせていました。桜の花を愛でるという心は持ち合わせていなかった高校生の時でも、この桜の花はなんて綺麗なんだろうと車窓から見とれていました。そして桜の花が散る頃ともなると、ひらひらと舞い落ちた花びらでホームがピンク色に染まっていました(←ちよっと言い過ぎかも)。
この日吉駅、今般サンライズ社から出版された「江若鉄道の思い出」の表紙を飾っているようです。
2015年03月29日
江若鉄道の思い出展から
昨日は今、大津市歴史博物館で開催中の「江若鉄道の思いで」展の講座に行ってきました。江若鉄道展は今回で3回目なんだそうです。ただ第1回は滋賀の鉄道展で江若鉄道単独ではなかったようです。第2回はについては私も行きましたから知っています。学芸員さんによると、おそらくこれが最後となる江若鉄道展になるのではないだろうかと言うことでした。
講座内容については、過去の江若鉄道展で行われた際に訪れた方々から頂いた思い出話や、江若鉄道OBの方々から見聞きした話の紹介でした。聴講に参加された方は、ざっと数えて100人は超えていたのではないかと思います。廃線となってから50年近くにもなるのですが、私もそのうちの一人なんですが今もって懐かしむ方々が大勢いらっしゃるんですね。
参加されている方々のお顔を見てみると、ほとんどの方が年配の方々で、乗った経験がありそうな顔ぶれでした。今日の講座を説明してくださる学芸員さんは、江若鉄道が廃線となる時はまだ生まれていなかったとかで、今日は聞き語りに徹しますとのことでした。
私は江若鉄道については20年近い付き合いがあり、とりわけ廃線となる直前の3年間は高校に通うのに利用していました。そのようなわけで講座内容については目新しい話はなかったのですが、先日先に企画展を見た折OBの方が撮られた写真の中にあった、水耕農園については知らなかった内容でした。
この水耕農園ですが今のJR唐崎駅付近にあった進駐軍施設なんだそうです。昭和の20年代から30年にかけて、進駐軍が水耕でもって野菜を作っていたとか。関東の方にも1か所あって関西ではここにあったそうです。わざわざ大がかりな設備でもって、野菜を作らなくてもよいのでは思うのですが、その理由についてはやはり自分が想像していたことでした。
子供の時だれかれとなく聞いたのですが、アメリカ兵さんは野菜は生で食べるらしくて煮炊きしないらしい。なので日本産野菜は安心して食べられないとか聞きました。勿論進駐軍時代の話ですがね。この話はひよっとしたら、この後に唐崎の水耕栽培施設の話がくっついていたのかも知れませんね。この水耕施設廃線となる直前まで一部が残っていたそうなんです。JRの唐崎付近と云えば唐崎中あたりですよね、あの辺りは江若時代はうーん、、、。
講座終了となったのですが、前々回のブログ記事の「江若鉄道と進駐軍」の三井寺下駅からの引込線が気になって、現地に確認に行きました。確認と云ってももちろん何も残っていないのですが、せめてもその方角だけでも思った次第です。
写真は三井寺下駅あった場所で奥にキリン堂が写っています。このキリン堂の場所に本社があったとか。私が立って撮影している所は長等市民センター前で、ここから大きく左にカーブしていて現在遊歩道となって市民の憩いの場となっているようです。自分の同級生には大津商業高校に進んだ友達が多くいて、この三井寺下駅から乗降していたのですが、どの道を通っていたのかなあーと見渡しのですがわかりませんでした。三井寺下駅の地図を見ると市民センター前の道路は駅のホーム。そしてここから浜大津に向かって左側を見ると次の写真です。
かなり年期が入ったレンガ塀がそこにありました。ホームがあった場所と思われる所の琵琶湖側で、気動車が駅に止まると絶対このレンガ塀を見ていたはずなんだけどなあー。三井寺下駅は2度ほど乗り降りしただけでほとんど記憶には残っていません。三井寺下駅に限らず途中下車したりしなかったですから、殆どの駅は知らないのですが思い出話だけは残っています。