2015年04月14日

江若鉄道思い出展終わりました

江若鉄道思い出展終わりました

先月から大津市歴博で開催されていた、江若鉄道の思い出展が12日で終わりました。会期中にもう一度行くつもりだったのですが、身体の方が拒否してしまって結局行かずじまいとなってしまいました。歴博の学芸員さんの話によると、この江若展ですがこれで何でも3度目なんだそうです。おそらく今回が最後の江若展となると思いますとのことであったので、後々あの時にもう一度行っとけばとならないと云いのですが。

私も3枚ほど思い出を投稿してきました。掲示してくれたのかわからないのですが、このブログで書いたような事を書いてきました。江若の思い出なら書こうとおもえばいくらでもあるのですが、あまりも多いのもどうかと思って3枚にしました。前回の展示の時に書かれた皆さんの思い出を読ませていただきました。

中でも江若鉄道の元社員さんが書かれていた一編に、膳所から江若鉄道の浜大津までの現在の京阪電車の軌道は、国鉄用地であったと云うのがありました。このブログでも書いたのですが、親父によると江若の浜大津駅長は国鉄職員だと聞いていました。江若は膳所駅から貨物が入ってきていたので、その絡みで駅は国鉄財産だろうとあまり深く考えていませんでした。今回この膳所~浜大津までが国鉄用地だと聞いて少し気になったものですから調べてみると、意外な事を知ることになりました。

鉄道の歴史より古くから近江の国では、琵琶湖を利用した湖上交通が盛んだったようです。その歴史は秀吉の百艘船からすでに始まっているみたいです。考えによってはもっと昔の太古の時代の丸木船から始まっているのかも知れません。江戸末期から明治初期にかけて、湖南汽船と太湖汽船が琵琶湖の北部と南部に分けて営業されました。特に大聖寺藩資本による太湖汽船は塩津、長浜から大津にかけて北陸からの物資を運搬したようです。一方明治から始まった鉄道輸送は大阪~大津間、敦賀~長浜間に滋賀県内ではいち早く開通しました。そして長浜~大津間は航路があったので工事が後回しになったそうです。この長浜~大津間を運航していた太湖汽船は、何でもこれが日本最初の鉄道連絡船となるのだとか。

これでもって一応これで北陸からの海産物、米を京都、大阪まで大量輸送ができるようになったんでしょうね。

ここで知らなかったのですが、この大阪~大津間の大津駅とは江若鉄道浜大津駅があった所がそうなんだとか。そして大阪を出た蒸気機関車は、今の膳所駅があったところにあった馬場駅で一旦停車して、スイッチバックで大津駅まで運行されたそうです。この馬場駅滋賀県内の1号駅で全国でも19番目にできた駅だとか。そして当時はまだ今の大津駅はまだなかったとか。そしてこの連絡船時代より僅か数年後には長浜~馬場駅が完成し、連絡船時代は終焉となるんだそうです。そこでこの大津駅は一応お役御免となり、貨物の取扱だけは残って旅客列車は廃止となります。なので線路は東海道の支線なのですが、旅客扱いもしない駅が大津駅なのはおかしいとかで浜大津駅に改められました。そして県庁の所在地の大津に大津駅が無いのはこれまたおかしいと相成って、馬場駅が大津駅に変わったそうです。その後東海道のルート変更もあって大津駅が膳所駅に、そして今の大津駅が新駅として開業とかで大津をとりまく湖上交通史、鉄道史を調べたら面白いでしょうな。

ところでこの鉄道連絡船の太湖汽船は琵琶湖汽船の前身ではないそうですよ。太湖汽船は2社あったらしいです。


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この記事へのコメント
江若鉄道も1日2回ぐらい膳所駅までいってましたね、でも国鉄が貨物やめたんで、最後までは行ってなかったんではないかな。
思い出すのは浜大津駅の 8600型か9600型の蒸気機関車でした。
そのとき覚えていたのが蒸気機関車は CとかDがつくのに、古い機関車があるなでした。
いまの浜大津駅とは全然感じがちがっていますね。
すぐ前に琵琶湖汽船のハリー食堂がありましたね。左側は古いお店がありましたね。いいおもいでです。
Posted by そば打ちおじさんそば打ちおじさん at 2015年04月17日 00:06
そば打ちおじさんへ。
膳所まで行ってたのは知っていましたが、いつ頃まで行っていたのかは知りません。京阪膳所駅のホームの裏あたりに江若のホームがあったと思うのですが、一度も江若で膳所まで乗ったことはありませんでした。
江若の貨物列車が走っているのを、子供の頃何回か見ていました。国鉄時代のDとかCの冠がついていない可愛い蒸気機関車で、しかも連結されている貨車は2、3両でした。

駅の近くに肥料やさんの倉庫があって、貨車で肥料を満載乗せて送られてきたのか、側線に貨車を止めて肥料を降ろされていたのを知っています。

ハリー食堂ありましたね。
ただあったのは知ってるけど、入ったこともないし勿論食べたこともありません。左側には最近、と云ってもかなりたつかも知れませんが釣り具屋さんがありました。竹村釣り具店やったと思うのですが。

そこに昭和の30年頃ですがうどん屋さんがあって、親父がうどんを食べさせてくれたのを覚えています。
Posted by 吉祥 at 2015年04月17日 12:26
「思い出の江若鉄道」が終わって一週間になろうとしていますね。もうあの場所に行っても思い出をいっぱい引き出してくれるジオラマがないのかと思うと寂しいです。
 浜大津から膳所まで旅客扱いしている電車は一日一本あったそうですよ。
 ただ、私は江若鉄道が膳所駅に乗り入れている風景は一度も見た事ありません。覚えているのは、三井寺下駅、伊庭善の踏切周辺だけです。

ハリー食堂 一度位は行ったような気がしますが、あまり記憶にない。
浜大津港から汽船に乗った事はよくあったのであの港の一角の様子は覚えています。
左が売店。右がちょっとしたベンチがあり藤棚のような屋根がありました。今の浜大津港よりこじんまりとしていて、いい雰囲気でした。
Posted by yume at 2015年04月18日 21:41
yumeさんへ。
今晩は。江若の思い出展終わってしまいました。この企画展が終わったことには何とも思わないのですが、今回が江若展については最後の企画展かと聞きましたから寂しい想いをしています。

膳所駅まで江若が行っていたのは知っていましたが、膳所までは乗ったことありませんでした。

浜大津港のことほとんど記憶にありません。高校の時秋の遠足かなんかで竹生島まで船で行きました。昭和の40年ころですからビアンカじゃなかったと思うのですが、玻璃丸でもなかったと思うのですがね。

何はともあれ、江若の思い出話が今回でもって終わることが何よりも辛いです。なんやかんや云うても私にとっては、江若は青春の1ページですからね。
Posted by 吉祥 at 2015年04月19日 19:05
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