2007年03月11日
男爵いも

今日少し寒かったですがジャガイモを植えました。品種は男爵、今までメークイン、キタアカリ、アンデスレッドなど作ってみましたがジャガイモはやはりこれ男爵に限ります。

畑の整地がまだ済んでいません、とりあえず一畝2.7KGを植えました。来週もう一畝植えるつもりですが。、、、、、、、
2007年03月11日
近江歴史回廊大学

昨日近江歴史回廊大学の講義を受けるため、ここ叡山学院にいってきました。まず驚いたこと、無い、ありませんないんです。何が流石です、ごみ、ちり、はおろか階段てすりにもほこりすらなく、綺麗に掃除されていました。冒頭少し聞き逃しましたがここでは比叡山の住職となるため、比叡山高校卒業後ここでみっちりと勉強されるそうです。
今日の授業は叡山学院教授武覚超教授による「比叡山と坂本」でした。二時限は同教授の引率により近くの、滋賀院門跡、慈眼堂、幸塚、生源寺と宿坊を案内していただきました。比叡(日枝)の言葉は古事記(712年)に登場するのがはじまりで、大山咋神、またの名は山末、、、、、とあります。平安時代には日吉社の社頭には多くの社がたちならんでいました。日吉大社は比叡山延暦寺の守護神でもあり、最澄も深くこれを信仰していたと聞き驚きました。

[滋賀院門跡]門跡とは宮家出身の方が代々天台座主をつとめておられその御座所となったところです、ようするに皇族の方々が仏門にはいり居住されたところで、天台宗では、この滋賀院門跡、妙法院門跡(京都三十三間堂)、三千院門跡、青蓮院門跡、曼殊院門跡、毘沙門堂門跡、東叡山輪王子門跡、日光輪王子門跡の八ヶ寺があります。
ところで坂本の名の由来は、比叡山の坂の下つまり坂のもとから坂本となりました。

[滋賀院門跡庭園]作庭は小堀遠州です。
もっと落ち着いて時間を取ってみるべきです。バタバタとしてみてもその良さはわかりません。

[幸塚]最澄の臍の緒が埋まっているといわれています。比叡山中学近くの道路沿いにありました。最澄は近江国分寺で得度奈良東大寺で受戒されました。所が当時の奈良仏教は腐敗堕落しており、自ら奈良を飛び出し比叡山に篭りました、その後遣唐使に選ばれ、顕教、密教を五台山より持ち帰り23才の時桓武天皇の御願により一乗止観院(根本中堂)にて初度供養会が執り行われました。最澄は父三津首百枝、母藤原藤子で生源寺にて誕生されたとあります。
比叡山、坂本をブログ記事にするのはタイトルからしてあまりも膨大すぎてあれもこれもと考えるうちに何を書いているのか解らなくなってしまいました。