2007年06月03日
京都切廻り

今日祇園で放生会があるからと、京都の友人の「餅寅」さんからお誘いを受けていましたので、早朝より行ってきました。放生会とはhttp://lycaste621.shiga-saku.net/e33332.html比叡山から阿闍梨さん降りてこられるそうです。

白川にかかる行者橋、友人宅前にはAM8:00頃を通られるとのことでしたから、待っていましたが、阿闍梨さんをカメラに写すのは御法度らしくて残念でした。法螺貝の音とともに「峯の白鷺」と称される阿闍梨さんが見えました。お加持を受けるため界隈の人々がひざまついていました。
写真のないのが残念です、せめて遠景でも許可してほしいですねー。
写真は阿闍梨さんが通って行った行者橋

この放生会歴史はそれ程古くはないみたい。京都切廻りにあわせて26年前からおこなわれるようになった行事だそうです。
*京都切り廻りとは、回峰百日のうち一日だけ旧京都市内にある神社、仏閣を巡拝する行である。コースは千日回峰行の第900日に修される京都大廻りと同じく、衆生済度を願うための化他行として行じられる。切り廻りでは、沿道にある信者の家への「お立ち寄り」がゆるされる、お立ち寄り先では、先祖の回向ならびに所願成就を祈念するお加持が奉修される。
ところでこの友人宅近くには、とんでもないものがあるんですよ。
それは次回の記事でアップします
2007年06月02日
大津歴博土曜講座
大津歴史博物館の土曜講座に行ってきました。
テーマは街道と宿場の資料を読む=大津宿から草津宿へ=
県内の東海道の宿として大津、草津、石部、水口、土山とありますか゛、大津には資料がほとんど残っていないとのことでした。
東海道五十三次として宿の体裁がととのったのは参勤交代が確立してからでありました。この宿場の働きは1、休伯として2、人馬継立のための二点でした。
1、当時旅人は宿場以外での宿泊は禁止されていました。しかし宿場~宿場の間「間の宿」「立場」で泊まる人もありました。というのは間の宿は宿場で泊まるより安くついたためです。宿場の本陣は大名が泊まるところであり、一般の人は旅籠で泊まることしか許されませんでした。草津、大津ともに旅籠は70軒前後あり強引な客引きがおこなわれいました。
参勤交代の諸事情もおもしろおかしく説明がありました。
テーマは街道と宿場の資料を読む=大津宿から草津宿へ=
県内の東海道の宿として大津、草津、石部、水口、土山とありますか゛、大津には資料がほとんど残っていないとのことでした。
東海道五十三次として宿の体裁がととのったのは参勤交代が確立してからでありました。この宿場の働きは1、休伯として2、人馬継立のための二点でした。
1、当時旅人は宿場以外での宿泊は禁止されていました。しかし宿場~宿場の間「間の宿」「立場」で泊まる人もありました。というのは間の宿は宿場で泊まるより安くついたためです。宿場の本陣は大名が泊まるところであり、一般の人は旅籠で泊まることしか許されませんでした。草津、大津ともに旅籠は70軒前後あり強引な客引きがおこなわれいました。
参勤交代の諸事情もおもしろおかしく説明がありました。