2007年05月27日
祇園放生会
滋賀ではなく京都の情報なんですが、先日京都白川に住む友人から6月3日比叡山から阿闍梨さんが、祇園のほうに来られるから来てみてはと連絡を受けました。
色々と話したいことお互いあるものですから早目に行く旨連絡しました。阿闍梨さんが何のために祇園に行かれるのか?すこーし不思議な気もしたのですが。
聞けば5月25日(土)の京都新聞に載っているとのことです。
京都新聞からの抜粋です。
6月3日午前11からは辰巳大明神前の巽橋で、比叡山明王堂大阿闍梨の読経により、恒例の「祇園放生会」が営まれる。近くにある御旅所はかつての「井筒屋」で、幕末の長州藩士高杉晋作が芸妓小梨花と遊んだと伝わる、、、、、、、、、
ということで祇園放生会のサイト見てみると毎年6月におこなわれているそうである。要するに生き物の供養らしくて、以前は舞妓さんと阿闍梨さん手によって鯉の稚魚を放流されていたが、今は鯉ヘルペス騒動により金魚が白川に放流されるとの事です。
大勢の方で賑わうそうです、まだみたことないものですから詳しい説明できなくて申し訳ないですが、みなさん、舞妓さんと阿闍梨さんに出会いに行かれてはどうかと記事にさせていただきました。
参考に辰巳大明神の地図貼り付けておきますから参考にしてください。
色々と話したいことお互いあるものですから早目に行く旨連絡しました。阿闍梨さんが何のために祇園に行かれるのか?すこーし不思議な気もしたのですが。
聞けば5月25日(土)の京都新聞に載っているとのことです。
京都新聞からの抜粋です。
6月3日午前11からは辰巳大明神前の巽橋で、比叡山明王堂大阿闍梨の読経により、恒例の「祇園放生会」が営まれる。近くにある御旅所はかつての「井筒屋」で、幕末の長州藩士高杉晋作が芸妓小梨花と遊んだと伝わる、、、、、、、、、
ということで祇園放生会のサイト見てみると毎年6月におこなわれているそうである。要するに生き物の供養らしくて、以前は舞妓さんと阿闍梨さん手によって鯉の稚魚を放流されていたが、今は鯉ヘルペス騒動により金魚が白川に放流されるとの事です。
大勢の方で賑わうそうです、まだみたことないものですから詳しい説明できなくて申し訳ないですが、みなさん、舞妓さんと阿闍梨さんに出会いに行かれてはどうかと記事にさせていただきました。
参考に辰巳大明神の地図貼り付けておきますから参考にしてください。
2007年05月27日
武覚超先生と共に

昨日近江歴史回廊大學に朝から行ってきました。今日のテーマは比叡山と回峰の道です、講師は叡山学院教授武覚超先生で終日説明してくださるとか、久し振りのバス旅行です、小学生に戻った気分です。

東塔戒壇院前での武先生の説明、東塔、西塔については過去ブログで。

浄土院黄色の法衣を着た方が12年籠山行中の侍真だそうです。

伝教大師御廟、近寄りがたい雰囲気がありますよ、ここも過去ぶろくを見てください。

相輪橙、この中には経典が収められています。

弥勒石仏鎌倉時代初期のものであるが、元亀の法難つまり信長の焼き討ちにより、比叡山と坂本は灰塵と化し3000人もの命が奪われました。この石仏は石であったため残ったものとおもわれますが、光背は一部かけておりお顔も痛々しく傷んでいます。何度かの戦火をくぐってきたのでしょうか。

横川まではバスで移動しました。
横川中堂、昭和17年落雷に焼失しましたが昭和46年に再建されました。本尊は聖観世音菩薩、脇侍に毘沙門天と不動明王を配した三尊形式です。不思議なことに焼き討ちを含めて幾度となく火災で本堂は燃えていますが、ご本尊はそのたびに持ち出され、平安後期の作でありまます。


根本如法塔慈覚大師円仁が始めたと伝えられている、如法写経にちなんだ塔である塔中に数々の仏教経典を書写したものを収め祈念する場であります。近世に入りこの付近の発掘調査があり黄金の経箱(国宝指定)長元4年作の銅筒も見つかったが残念なことに銅筒は昭和の落雷により消滅してしまった。
横川にはまだまだ多くの堂宇がありますが、今回の歴史回廊大學の一日研修では回りきれないとのことでした。私は後日個人的にここ横川を訪ねてみたい思いにかられました。それも同じ行くなら歩いていきたいものです。コースは大宮林道から入るのか、飯室不動から入るのか、それとも西塔から峯道を歩くのか、秋になりそうですがまた応援してやってください。