2017年05月29日

琵琶湖の橋板

琵琶湖の橋板

今朝起きていつも通りお茶を飲みながら朝日新聞に目をやると、滋賀版に前滋賀県知事の嘉田さんの和服姿の写真と記事が掲載されていた。プレス発表だったようて゜朝日はもとより、読売、毎日、京都などの朝刊にも掲載されたようです。

昔、かつて琵琶湖畔の家の前に桟橋のように架けられて、生活用水として利用されていた橋板を再生させようと保存会が結成され、14基が旧志賀町で設置されたと云う記事でした。

琵琶湖畔一円すべてそうであったか分かりませんが、少なくとも旧志賀町では琵琶湖の岸から沖に向けて写真のような板が設置されていました。この板に乗ってある時は野菜を洗ったり、洗濯物のゆすぎをしたりしていました。自分は比良山麓の湖畔で育ったものですから、家の前にこの板があっことよく覚えています。
新聞では橋板と紹介されていましたが、橋板とは云わずただ単に橋と呼んでいました。県の許可を得て湖岸沿いに畑の耕作をしていたのですが、バケツを持ってこの橋に乗って琵琶湖の水をすくいによく利用していました。あと、農家の方は泥でひどく汚れた野良着とか洗濯物のゆすぎなんかにも使っておられました。一軒のみで設置されているとこもありましたが、私の実家ではこの橋を利用する何軒かで管理していました。古くなって交換するときは利用者で費用を分担していました。

台風の時が大変で湖が荒れて、この橋が流されてしまうので陸の方に上げなければなりません。また通過後には元に戻さなければならないのですが、台風シーズンともなれば結構大変な作業となります。何度か流されたことがあって、親父が湖岸べりを探しに行った事もありました。

琵琶湖の水位が上がったり下がったりするので、高さの調整が難しいと云うか困難だっようです。橋の上に乗って洗い物をやろうとすると、渇水期だと腰を深く折り曲げなければなりません。板に二本の足がつけてあるのですが、この足をゆすって砂の中に差し込んで高さ調整をすることになります。折角ほどよい高さになったと思ったら、梅雨期なると増水して橋板が水没してしまい今度は上にもちあげなければなりません。これの繰り返しでこれは大人しかできなかったですね。
しばらく橋が水につかったままになっていると、板がヌルヌルになって滑ってしまい困った事になります。一度、何歳位だったかなぁ~このヌルヌルの状態の橋に乗った途端、180度もんどり返って琵琶湖にドスン。腰をいやっと云うほど打つわ、パンツもシャツも何もかもドボドボで往生したことがありました。

橋板は昭和の何年頃まであったでしょうか。30年代まで?。橋板が湖畔沿いに遠くまで不規則な間隔で設置されていて、それはそれは湖西地区で見る湖畔の原風景でした。この橋板ですが今では設置しようとしたら県の許可がいるのだそうですね。今回この許可が降りて、旧志賀町内に14基設置されたそうです。今週末湖西の方に行く用事があるので、昔懐かしい原風景を見てこようと考えています。


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この記事へのコメント
大昔よくみましたね、懐かしいですね、そうか昔とちがって水か汚いから置く人もいないですね。いまは許可がいるとは。
Posted by そば打ちおじさんそば打ちおじさん at 2017年06月03日 18:43
そば打ちおじさんへ。
今日と云うより日が変わって昨日となりましたが、湖西に行く用事があって見てきました。また朝起きてからブログに書きます。許可がいるとは厳しいですね。
Posted by 吉祥 at 2017年06月04日 00:24
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