2022年06月04日
二つの志賀
今からもう3年程前の事になるだろうか。3年前のある日、ある所で、ある人からこんな質問を受けた。
吉祥さん、大津に志賀の名がつく地名が2カ所あるのですが何故なんですか。
私はおもわずエッと声を出した。と、云うのは聞いてきたのが某行政の文化財の方だったからである。その方はまだ20代の若い方で滋賀の出身ではないです。文化財の専門員と云っても、何から何まで知っている訳じゃないんだから、ここんとこは私も理解できる。ましてや、地元の歴史は地元の人に聴けと云うほどだから良しとしておきたい。
確かに他府県から滋賀に近くにやってきた人にとっては、なぜ市内に2カ所の志賀があるのか疑問だと思う。ひよっとしたら、湖北の方だったら志賀が2つあるのを知らない人がいるかも知れない。
彼が聞く所の「何故なんですか」には、いろんな疑問が入っているんだと思う。私は一応自分なりの考えを持ちはしていたのだが、確信が持てないので「何でやろうね」とお茶を濁しておいた。最近ふと3年前の、この時の事を思い出してしまって、簡単にではあるが調べてみた。そうかやっぱりそうだったのか。
順序が後先逆になってしまったが、彼が聞く所の志賀と云うのは一つは志賀の都の志賀、そしてもう一つは比良山地の麓にある志賀(今はもうないけど)。
一つ目の志賀は一旦取りあえず置いといて、問題は二ツ目の志賀である。二つ目の志賀は今から15年ほど前、比良山地を基点とした長~い町があった。20年ほど前県内各地で市町村合併が行われ、多くの町が消えてしまった。この志賀町もその一つで志賀町は今はないけど、時としていまだに旧志賀町ではと時々耳にする。志賀町のエリアはと云うと、JR湖西線の南から小野、和邇、蓬莱、志賀、比良、近江舞子、北小松の各駅が志賀町内にある駅である。一つの町に7駅もJRの駅があるのは調べていないが珍しいのではないだろうか。合併前の住所は滋賀県滋賀郡志賀町大字〇〇 何番地であったが、今は大津市〇〇 何番地と何ともシンプルになった。
と云うことで、15年前までは大津市の志賀と滋賀郡の志賀で棲み分けが出来ていたのだが、合併によって大津市に2つの志賀ができてしまった。古くからの住民だと何とも思わないかも知れないが、最近になって大津市民となられた人にとっては何故ってなるかも知れないですね。
事実、面白いと云うか変なのは、志賀小学校は近江神宮近くにあって、志賀中学校の最寄り駅は蓬莱駅。ビワコバレイの近くです。なので志賀小学校と志賀中学校は距離にして20キロ近く離れているのではなかろうか。合併前は大津市立志賀小学校、志賀町立志賀中学校だったけど今では両方とも大津市立の学校です。志賀小学校卒で志賀中学校入学、卒業の人っているかなぁ~なんて考えたりすると、冒頭の何で大津に2つの志賀があるのですかとの疑問に確かに思うわね。
そこでそもそも志賀と云うのは何処から来たのだろうか。これを検証していくとなると長文となりそうなのと、正直まだ纏めていないんです。何しろ後期高齢者の仲間入りなのでパワー不足もいいところで、少しづつの小出しのテーマとなりますが、何回かに分けて日記にしたいと思っています。とりあえずカテゴリーに「二つの志賀」を追加しました。
Posted by 吉祥 at 15:15│Comments(0)
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