2022年07月07日

なぜ志賀町なの

なぜ志賀町なの

志賀町はどこからきたのか、検証にある所を訪ねてみようと考えていたのだがこの暑さで暑さ負けしてしまいました。今まで暑いのは気にならなくて何とも思わなかったのだが、歳のせいかばてています。

志賀町は和邇村、木戸村、小松村と三ヶ村が合併して昭和30年に町が誕生しています。そこで何処から志賀町と名がついたのかは後回しにして、町が発足するにあたり大もめにもめたらしいです。それは庁舎を何処にするかとなりました。

志賀町は南北に長~い区域で現在のJRの駅でいうと、南から小野駅、和邇駅が和邇村、蓬莱駅、志賀駅、比良駅が木戸村、近江舞子駅、北小松駅が小松村となります。勿論昭和30年にはJRは無くて、江若鉄道でしたけど。江若の時は小野駅はありませんでしたし、志賀駅は木戸駅でした。駅があるところは江若の時も、JRもほぼ同じところに建っています。
そこでなぜもめたかと云うと、誰が考えても庁舎は三ヶ村の中央にもっていくのが妥当だと思うんです、ところがこれに和邇村が大反対がおこり合併は白紙撤回もいったそうです。

昭和30年ころの和邇、木戸、小松を知っている人ならわかると思いますが、田舎の商店街とはいえ和邇の榎商店街とは非常に賑やかな所でした。今のスーパーにある品物ならすべてとはいかないにしても、ほぼ揃えられたのではないでしょうか。
それに和邇は平安時代から続く歴史ある町なんです。これは律令の時代の法令集延喜式にその名が出てきますから証明されています。よろしければ下のリンククリックして見て下され。

昔、歴史好きの方々を和邇に案内したことがあります。

と云うことで和邇の人が木戸に庁舎を持っていくことに反対したことは分かります。紆余曲折があったにしろ、最終的には真ん中の村の木戸村に庁舎が出来てめでたしめでたしで昭和30年に発足となりました。。そこでなぜ名前が志賀町になったのか、これから検証に行きたいと思っています。しばらく志賀の話は中断とさして頂きます。


同じカテゴリー(二つの志賀)の記事画像
志賀清林のこと
志賀と名づけられた。
志賀の都
二つの志賀
同じカテゴリー(二つの志賀)の記事
 志賀清林のこと (2022-08-02 12:04)
 志賀と名づけられた。 (2022-07-25 08:54)
 志賀の都 (2022-06-09 19:37)
 二つの志賀 (2022-06-04 15:15)


上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

< 2025年04月 >
S M T W T F S
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
QRコード
QRCODE
オーナーへメッセージ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 39人