2007年08月23日

新撰組と古高俊太郎

新撰組と古高俊太郎

守山市古高町は古高俊太郎の生誕地である。
中仙道脇には「古高俊太郎先生生誕地」の石碑が顕彰会の手によって立てられている。古高俊太郎は尊王攘夷派で、京都河原町で骨董商を商いながら佐幕派の動きを偵察していたが、新撰組に捕らわれた。

激しい拷問により長州藩の密談を吐露してしまった。これが池田屋事変と発展した。この池田屋事変により明治元年が三年とも、五年とも遅れたと言われている。池田屋旅館跡は三条大橋の近くにあり今ではパチンコ店となっている。

この日は守山寺に行った時ちょっと寄ってみたのであるが、生家跡でもあるのかと探してみたがわからなかった。近くに福寿院なるお寺さんがあってそこには古高一族のお墓と顕彰碑があるとのことである。


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