2007年05月17日
近江歴史回廊大学
12日(土)近江歴史回廊大学に行ってきました。今回は県立近代美術館高梨純次先生による「仏教美術」二時限は県教育委員会建造物担当の池野保先生による「寺と社」でした。
仏像は古代においては漆で固めた塑像でしたがその後木心乾漆像となっていきました。木心乾漆像は粗彫りのおおまかな立像をつくりその上に木屎漆を盛り付けていく技法であります。
粗彫り技術の進歩ならびに鉋道具の向上により、その後木彫へと変化していきました.木彫仏像の場合そのままだと、ひび割れや歪が生じますが内刳り、背刳りといって木の芯をくりぬくことによりひび割れを防いでいます仏像の各部位を分割されたものもあり、手首を取り替えることにより薬師如来⇔阿弥陀如来となったものもあります。
井上靖書「星と祭り」ですっかり有名となりましたが、湖北地区にはすばらしい観音仏像が数多く見受けられます。このことは天台仏教の浸透と熟練仏師がこの地に住んでいたからでしょうか。
二時限は寺と社の文化財建造物の話でした。この講座では何度ともなく聞く言葉ですが近江は、歴史と文化の宝庫でもあります。国指定文化財建造物は京都、奈良についで全国第三位であります。
県内の神社、仏閣をパワーポイントの画像で詳しく建物の構造、様式について説明していただきました。内容について長くなってしまいますので割愛しますが、材料、様式の説明資料もいただきました。今後寺なり社見学した場合今までと違った目線でみることになろうかと思いました。
それにしても滋賀県には、知らない文化建造物、美術品の宝庫であること再認識いたしました。暇をみつけては少しづつ見ていくことにします。
仏像は古代においては漆で固めた塑像でしたがその後木心乾漆像となっていきました。木心乾漆像は粗彫りのおおまかな立像をつくりその上に木屎漆を盛り付けていく技法であります。
粗彫り技術の進歩ならびに鉋道具の向上により、その後木彫へと変化していきました.木彫仏像の場合そのままだと、ひび割れや歪が生じますが内刳り、背刳りといって木の芯をくりぬくことによりひび割れを防いでいます仏像の各部位を分割されたものもあり、手首を取り替えることにより薬師如来⇔阿弥陀如来となったものもあります。
井上靖書「星と祭り」ですっかり有名となりましたが、湖北地区にはすばらしい観音仏像が数多く見受けられます。このことは天台仏教の浸透と熟練仏師がこの地に住んでいたからでしょうか。
二時限は寺と社の文化財建造物の話でした。この講座では何度ともなく聞く言葉ですが近江は、歴史と文化の宝庫でもあります。国指定文化財建造物は京都、奈良についで全国第三位であります。
県内の神社、仏閣をパワーポイントの画像で詳しく建物の構造、様式について説明していただきました。内容について長くなってしまいますので割愛しますが、材料、様式の説明資料もいただきました。今後寺なり社見学した場合今までと違った目線でみることになろうかと思いました。
それにしても滋賀県には、知らない文化建造物、美術品の宝庫であること再認識いたしました。暇をみつけては少しづつ見ていくことにします。
2007年05月15日
アンケートにご協力を!!
今滋賀咲くブログのアンケートコーナーにて、《滋賀咲くブログの利用時間は》という設問でアンケート調査が行われています。皆さん投票済まされたでしょうか?まだの方は是非ご投票お願いします。
今のところ20時間以上がトップを走っているようです。私の予想では最終コーナーで5~10時間が追い上げてきて、逆転そのまま逃げ切ると予想しています。
投票締め切りは5月21日までです。忘れずに投票いたしましょう。

今のところ20時間以上がトップを走っているようです。私の予想では最終コーナーで5~10時間が追い上げてきて、逆転そのまま逃げ切ると予想しています。

投票締め切りは5月21日までです。忘れずに投票いたしましょう。

Posted by 吉祥 at
16:43
│Comments(8)
2007年05月14日
和邇祭


これから祭りを執り行う奉上が述べられます。

この神輿の神額には日吉三宮とあります、ここ和邇の隣集落に船路というところがあります。ここの守護神八所神社は昔日吉さんの神輿を預かった縁で、今も4月15日船路のお供献納祭が執り行われていますこの献納祭をもって山王祭が終わりとなるそうです。
このとなりの集落に木戸部落というのがあります日吉神社の大宮の神額がこの部落にあり、このたび大津市の指定文化財に認定されました。









なにはともあれお疲れ様でした。
タグ :祭
2007年05月13日
和邇祭

大宮社(今宿、和邇中)
国指定重要文化財

三宮社(南浜)

樹下社(中浜)この社の彫刻すばらしいですよ、どうして文化財指定がなされないのか。
彫刻物下の写真をご覧ください。
今日和邇祭りを見てきました。別名「遅くて早い和邇祭り」というありがたくない名前をちょうだいしているらしい。ここ天皇神社「正しくは牛頭天王社」の本殿は切り妻造りの檜皮葦ぶきで国指定の重要文化財(最初の写真)に指定されています。天皇を本殿に脇社に若宮、樹下、木元、三宮各社を従えています。
大塚紅水著、滋賀の百祭、京都新聞社発行によると戦国時代に日吉大社は戦の難を逃れてこの地に神輿を疎開させたが、平穏となったおりその返還を求めて争いになったと言う。
和邇側は持つて帰るなら「和邇の土地を踏まずに持ち帰れ」といったのに対し日吉側は和邇川を担いで持ち帰りました。川湖は天が預かったものと答えたという。これが和邇祭りのルーツらしい。
そういえば樹下、大宮、二ノ宮、十禅、山王さんの影がちらほら

樹下社の彫刻、写真上手く写っていませんが、かなり精巧に細工されていましたよ。



タグ :祭