2012年10月11日
大津宮周辺の古代寺院跡をたずねました

(錦織遺跡にて)
土曜日に栗東歴史民族博物館主催の大津宮周辺の、古代寺院跡を訪ね歩くに参加してきました。この催しは今、栗東民族歴史博物館でおこなわれている、白鳳寺院の遺物の企画展の関連行事であります。
先着20名の少数限定の見学会でしたが、運よくその仲間に入れていただきました。当日は館長に前館長、学芸員さんと市民学芸員も参加、ボイントでは二人の学芸員さんから説明となんとも贅沢な歩こう会でした。
コースは京阪電車の錦織で下車し錦織遺跡、南滋賀町廃寺から榿木原瓦窯(はんのきがよう)から崇福寺跡までの5キロコースでした。
大津宮跡の所在地については古来よりいろいろと議論がなされていて、中には現在の大津市内とする説もあったようです。
昭和40年代に京阪錦織駅近くの宅地跡から、大津宮と思われる遺構が見つかったことにより昭和49年に推定地とされたそうです。この地点が第一地点として保存されており、歩いていて気がついたのですが点々と遺跡保存地がありました。

(南滋賀町廃寺)
ここは昭和3年に調査、その後13、4年の発掘調査で塔、金堂、講堂、食堂が見つかったそうですが、寺院名が不明の為現在でも地名の南滋賀町廃寺と名づけられいるそうだ。



南滋賀町廃寺を含むこのあたり一帯の寺院の瓦を焼いていたという、榿木原瓦窯を案内していただきました。バイパス建設の折に見つかった遺跡だそうで、登り窯を切り取って移設保存した言う施設を案内していただいた。

(サソリ瓦を焼いたという登り窯)

福王寺古墳群で横穴式古墳を見学ののち、少し山登りを楽しみつつ志賀大仏から崇福寺後をめざしました。崇福寺は天智天皇の発願により建立されたのですが、大正年代までは北尾根、中尾根、南尾根が崇福寺とされていましたが、今では写真の南尾根の遺跡は梵釈寺とするのが通説となっているそうです。
南尾根のところに写真の記念碑が建っていますが、建てられたのは大正4年のため当時はここは崇福寺とされていのでしょうね。



(天智天皇が夢枕に見たという、金仙滝及び洞窟附近を学芸員と共に歩く)
ここから中尾根、北尾根と歩き、中尾根では有名な狸堀り事件があった堂塔跡で説明を受けました。心礎から国宝の舎利容器が出土し、現在では京都国立博物館にて保存されているようだ。
「10月21日まで栗東歴史民族博物館にて企画展が開催中で、レプリカですがこの舎利容器が展示されています」
南滋賀町廃寺と崇福寺はともに昭和13年14年と発掘調査が行われています。これは皇紀2600年事業で近江神宮の建設に伴い、調査が行われたそうです。
最後に。
栗東歴史博物館の館長さん並びに学芸員さんの案内で現地見学を楽しんできました。こういっちゃ何ですが、栗東の学芸員さんは皆さん気さくな人揃いで好感がもてました。
今月の21日には報告会も予定されています。勿論参加するつもりです。
Posted by 吉祥 at 19:09│Comments(6)
│近江歴史回廊
この記事へのコメント
吉祥さん、今日は。大津宮周辺の古代寺院巡りは楽しかったようですね。前に、吉祥さんと参加した時より、丁寧に説明されているようですし、崇福寺跡も中尾根・北尾根と、しっかり見学されているようですね。
一部の写真は懐かしく拝見しました。
一部の写真は懐かしく拝見しました。
Posted by kobatoan at 2012年10月12日 13:01
今日10月12日、行ってきました栗東歴史博物館。崇福寺跡出土品の複製、携帯かまどなど等記憶を新たにしてきました。
吉祥さん記述、さすがに目の付け所が、写真、文章とも納得。
吉祥さん記述、さすがに目の付け所が、写真、文章とも納得。
Posted by どんたく at 2012年10月12日 20:51
同じところを玉川公民館でいきます。
次は解説がありませんわ、どないしましょう。
私、あす行程どうりにいってきます。
次は解説がありませんわ、どないしましょう。
私、あす行程どうりにいってきます。
Posted by そば打ちおじさん at 2012年10月13日 00:34
kobatoanさんへ。
おはようございます。
今朝は4時から起きています。押されぱなっしでしたか゜やはり香川が決めてくれました。
このコースは以前草津歩こう会でごいっしょしたコースでした。あの時は一年に一度の歴史歩こう会とのことでしたが、やはり主体が体育協会ですから満足な説明ではなかったと思います。
今回は栗東の歴博のオールキャスト主演の現地見学会ですからそれはもう中身が違いました。
崇福寺の建立のいきさつから、発掘調査まで詳しく聞こことができて満足して帰ってきました。
おはようございます。
今朝は4時から起きています。押されぱなっしでしたか゜やはり香川が決めてくれました。
このコースは以前草津歩こう会でごいっしょしたコースでした。あの時は一年に一度の歴史歩こう会とのことでしたが、やはり主体が体育協会ですから満足な説明ではなかったと思います。
今回は栗東の歴博のオールキャスト主演の現地見学会ですからそれはもう中身が違いました。
崇福寺の建立のいきさつから、発掘調査まで詳しく聞こことができて満足して帰ってきました。
Posted by 吉祥
at 2012年10月13日 08:09

どんたくさんおはようございます。
栗東の企画展に行ってきたとのこと遠いところをご苦労さまでした。何事にも熱心なようで感服しています。
お褒めの言葉、真に受けてありがとうごいます。
ただ私は文才はありませんし、文章表現力も乏しいので恥ずかしいようなもので、その上写真はデジカメのシヤッターを切るだけで大したことありません。
その上最近はブログの方も手抜きで、記事内容も文章の方も雑になってきていて反省しています。
歴博で舎利容器みられましたか。レプリカとは言え寸分違いなく作っているものと思います。本物はいつ頃製作されたものか聞き逃しましたが、崇福寺の歴史から考えると1000年以上も前のものでしょうか。
大、中、小の入れ子になっていて、しかも金、銀、銅製となっているようですが驚きの出土品です。かなり精巧なもので当時の技術力はすごいものです。
栗東の企画展に行ってきたとのこと遠いところをご苦労さまでした。何事にも熱心なようで感服しています。
お褒めの言葉、真に受けてありがとうごいます。
ただ私は文才はありませんし、文章表現力も乏しいので恥ずかしいようなもので、その上写真はデジカメのシヤッターを切るだけで大したことありません。
その上最近はブログの方も手抜きで、記事内容も文章の方も雑になってきていて反省しています。
歴博で舎利容器みられましたか。レプリカとは言え寸分違いなく作っているものと思います。本物はいつ頃製作されたものか聞き逃しましたが、崇福寺の歴史から考えると1000年以上も前のものでしょうか。
大、中、小の入れ子になっていて、しかも金、銀、銅製となっているようですが驚きの出土品です。かなり精巧なもので当時の技術力はすごいものです。
Posted by 吉祥
at 2012年10月13日 08:22

そば打ちおじさんへ。
おはようございます。
下見に行かれるとのことご苦労さまです。これで2回歩いたことになるのですが、イマイチ道順は飲み込めていません。当日はそば打ちさんをたよって歩きますので案内の方宜しく願います。
建物とか有形のものが無いので、説明は必要かと思うのですがどうですかね。それと崇福寺は行きます?。
百穴に志賀大仏から崇福寺ですから、ここを外したら興味は半減しますが他の方の意見はどうなんでしょう。
おはようございます。
下見に行かれるとのことご苦労さまです。これで2回歩いたことになるのですが、イマイチ道順は飲み込めていません。当日はそば打ちさんをたよって歩きますので案内の方宜しく願います。
建物とか有形のものが無いので、説明は必要かと思うのですがどうですかね。それと崇福寺は行きます?。
百穴に志賀大仏から崇福寺ですから、ここを外したら興味は半減しますが他の方の意見はどうなんでしょう。
Posted by 吉祥
at 2012年10月13日 08:29
