2012年12月23日
背割水路の町近江八幡
昨日は霧雨の中、八幡山城に登ってきました。これは滋賀県の文化財保護課主催の歴史探訪で訪れたものです。八幡山には昔にケーブルで行ったことはあるのですが、歩いてでも登れると聞いていたのでいつかはと思っていたのですがやっと実現しました。
文化財保護課の方と、それに近江八幡市の文化財の方からも説明員で来ていただき、なんとも説明豊富なハイキングでした。ただ惜しむらくは当日の出発時刻の時は小雨で、山上では一応雨はやんでいましたが強い霧で視界がゼロでした。山上からの風景を見たかったのですが残念なことでした。
午前中は山城跡を見学して下山。午後の部では八幡市内を案内していただきました。八幡市内は何度か訪れていて少しばかり知識はあったのですが、背割水路のことは知りませんでした。

城下は縦に12条横に5筋の碁盤の目状に町割りされているのですが、絵図の赤い部分は地質が砂礫層で黄色のところは粘土質な為地下水はカナケつまり鉄分が含んだ水なんだそうです。そこで古くから八幡の町家では飲料水を町の東側から竹管で西側へと送っていたのだそうです。
また地形的には碁盤目状内では高低差が5mもあり、砂礫層の方が高くなっているらしい。そこで必然的に雨水は東側から西側に流れることになり、西側の地域では湿地対策として道路と道路の間に背割水路として排水路を設けているのだとか。

町名については碁盤の目ごとに付けられたものと考えていたのですが、そうではなくてこの背割水路から背割水路までが一つの町名となっていました。
道を西側から東方向に歩いたのですが、東方向が高いのが一目瞭然で分かりましたし、縦道路と縦道路の間には画像に見る背割水路が必ずありました。こうやって歴史に詳しい方からの説明を受けての町歩きは楽しいものです。
文化財保護課の方と、それに近江八幡市の文化財の方からも説明員で来ていただき、なんとも説明豊富なハイキングでした。ただ惜しむらくは当日の出発時刻の時は小雨で、山上では一応雨はやんでいましたが強い霧で視界がゼロでした。山上からの風景を見たかったのですが残念なことでした。
午前中は山城跡を見学して下山。午後の部では八幡市内を案内していただきました。八幡市内は何度か訪れていて少しばかり知識はあったのですが、背割水路のことは知りませんでした。
城下は縦に12条横に5筋の碁盤の目状に町割りされているのですが、絵図の赤い部分は地質が砂礫層で黄色のところは粘土質な為地下水はカナケつまり鉄分が含んだ水なんだそうです。そこで古くから八幡の町家では飲料水を町の東側から竹管で西側へと送っていたのだそうです。
また地形的には碁盤目状内では高低差が5mもあり、砂礫層の方が高くなっているらしい。そこで必然的に雨水は東側から西側に流れることになり、西側の地域では湿地対策として道路と道路の間に背割水路として排水路を設けているのだとか。

町名については碁盤の目ごとに付けられたものと考えていたのですが、そうではなくてこの背割水路から背割水路までが一つの町名となっていました。
道を西側から東方向に歩いたのですが、東方向が高いのが一目瞭然で分かりましたし、縦道路と縦道路の間には画像に見る背割水路が必ずありました。こうやって歴史に詳しい方からの説明を受けての町歩きは楽しいものです。
Posted by 吉祥 at 12:11│Comments(14)
│湖と人間
この記事へのコメント
吉祥さん、今日は。近江八幡での歴史探訪は雨天を除き良かったようですね。八幡山にはケーブルでも、歩いても(2か所登り口がある)登りましたが、晴天だと見晴らしが良いのですが残念でしたね。
背割水路のことははじめて聞きました。背割水路で町名がつけられたとは知りませんでした。大きな川があるとその中央部で区割りされているようですが・・・。
ウオーキングに参加するときも、説明があるのとただ歩くだけとは大きな差がありますね。良いチャンスを掴みましたね。
背割水路のことははじめて聞きました。背割水路で町名がつけられたとは知りませんでした。大きな川があるとその中央部で区割りされているようですが・・・。
ウオーキングに参加するときも、説明があるのとただ歩くだけとは大きな差がありますね。良いチャンスを掴みましたね。
Posted by kobatoan at 2012年12月23日 12:36
kobatoanさんこんばんは。
山上からの眺めはゼロでした。ただ城内を一周して下山しかけた時に少し霧のほうは晴れました。
城下の町を案内してもらったのですが、飲料水をテーマにした話を聞くのは初めてで新たに知識が増えました。
考えてみれば生活するには水の問題は最重点ですよね。今は蛇口をひねると水がでますが、秀次公の時代だと大きな問題だったことでしょう。
ウオーキングは楽しいのですが、ただ歩いているだけでは興味がが半減します。説明を聞いたところで右から左なのですが、道案内のついでに少し付け加えてくださると有意義なウォークとなります。今回はプロの方の案内でしたので満足でした。
山上からの眺めはゼロでした。ただ城内を一周して下山しかけた時に少し霧のほうは晴れました。
城下の町を案内してもらったのですが、飲料水をテーマにした話を聞くのは初めてで新たに知識が増えました。
考えてみれば生活するには水の問題は最重点ですよね。今は蛇口をひねると水がでますが、秀次公の時代だと大きな問題だったことでしょう。
ウオーキングは楽しいのですが、ただ歩いているだけでは興味がが半減します。説明を聞いたところで右から左なのですが、道案内のついでに少し付け加えてくださると有意義なウォークとなります。今回はプロの方の案内でしたので満足でした。
Posted by 吉祥
at 2012年12月23日 18:47

大昔に山にケーブルでいきました。そのころは城跡はよくみてなかったんですが、石垣はのこっていますね。そんな大きい城ではなかったとおもいますが。
町歩きで背割り水路があるとは。町がたくさんあるのはしってましたが。あのまちなかでの肉やのコロッケおいしいんですよ。酒蔵もありましたね。
町歩きで背割り水路があるとは。町がたくさんあるのはしってましたが。あのまちなかでの肉やのコロッケおいしいんですよ。酒蔵もありましたね。
Posted by そば打ちおじさん
at 2012年12月23日 21:53

八幡の絵を展示した時に、タイトルに付けていたその場所の住所表記が間違っていることを地元のかたに教えていただいたことがあります。八幡の住所はややこしいと思っていましたが、背割水路で変わっていたんですね。いい勉強になりました。ありがとうございます。
Posted by sho惑星 at 2012年12月24日 08:37
そば打ちおじさんへ。
私も大昔にケーブルで登ったことあります。そば打ちさんといっしょで歴史に全く無関心のときでしたから殆ど記憶にありません。子供がまだ小さい頃で、山上に小さい遊園地があって遊具で遊ばしていたのだけは何故か覚えています。
余談ですが、来年の南草会の年間の活動予定を公民館に提出しないといけないそうです。メールにも書きましたが順番制で案内役をするようです。候補地を言ってくれとのことでしたが、誰も言いません。私一人が九つあげて会長が愛知川宿をあげました。
私の九つのうちの一つに八幡をいれておきました。
だけど一人で全部案内役をやるんじゃないでしょうね。えらいこと言うてしまいましたわ。
私も大昔にケーブルで登ったことあります。そば打ちさんといっしょで歴史に全く無関心のときでしたから殆ど記憶にありません。子供がまだ小さい頃で、山上に小さい遊園地があって遊具で遊ばしていたのだけは何故か覚えています。
余談ですが、来年の南草会の年間の活動予定を公民館に提出しないといけないそうです。メールにも書きましたが順番制で案内役をするようです。候補地を言ってくれとのことでしたが、誰も言いません。私一人が九つあげて会長が愛知川宿をあげました。
私の九つのうちの一つに八幡をいれておきました。
だけど一人で全部案内役をやるんじゃないでしょうね。えらいこと言うてしまいましたわ。
Posted by 吉祥
at 2012年12月24日 08:43

sho惑星さんおはようございます。
八幡山城~八幡堀、そして市内と歩いてきました。歩きながらsho惑星さんのことをつい想い浮かべてしまいました。
八幡の市内はsho惑星さんの好きそうな風景が満載ですね。
八幡には何度か足を運んでいるのですが、背割水路のことは初耳だったので山城の前に記事にしました。
文章がなにぶん下手なもんで上手く表現できません。解っていただけましたか。
歩きは八幡堀から新町通りに入って、そこから画像で言うと横の方向に歩きました。画像の黄色い線は道路なのですが、縦に入っているのが背割水路だそうです。今で言うなら排水路だそうです。で、家は通り側が表で、この背割水路側が裏側になります。
道路をはそんで町名は付けられているのだそうです。ですから道路の反対側の家は同じ町名と言うことになります。そしてそのエリアは背割水路から背割水路までと言うことになります。
私は碁盤の目の中が同じ町名だと考えていました。
それと水の話しも面白かったですね。ようするに軟水地域に住む家から硬水地域に竹製のパイプでもって送っているそうです。
このあと八幡の四方山話し第二段を書きますのでよろしければ見てください。
これから寒波がくるそうです。お互い風邪には注意しましょう。
八幡山城~八幡堀、そして市内と歩いてきました。歩きながらsho惑星さんのことをつい想い浮かべてしまいました。
八幡の市内はsho惑星さんの好きそうな風景が満載ですね。
八幡には何度か足を運んでいるのですが、背割水路のことは初耳だったので山城の前に記事にしました。
文章がなにぶん下手なもんで上手く表現できません。解っていただけましたか。
歩きは八幡堀から新町通りに入って、そこから画像で言うと横の方向に歩きました。画像の黄色い線は道路なのですが、縦に入っているのが背割水路だそうです。今で言うなら排水路だそうです。で、家は通り側が表で、この背割水路側が裏側になります。
道路をはそんで町名は付けられているのだそうです。ですから道路の反対側の家は同じ町名と言うことになります。そしてそのエリアは背割水路から背割水路までと言うことになります。
私は碁盤の目の中が同じ町名だと考えていました。
それと水の話しも面白かったですね。ようするに軟水地域に住む家から硬水地域に竹製のパイプでもって送っているそうです。
このあと八幡の四方山話し第二段を書きますのでよろしければ見てください。
これから寒波がくるそうです。お互い風邪には注意しましょう。
Posted by 吉祥
at 2012年12月24日 09:00

こんにちは~♪
近江八幡城下の「背割水路(排水)」の事は、知っておりましたが…ここまで、詳しく内容を知りませんでした。八幡掘りを歩くと、「背割水路(排水)」の表示看板が、確か??佃煮屋さんの斜め前?お土産屋さんの右手辺りに有りましたよね(←アバウトな説明で、どこだか解らんですね(笑)違っていたら、スイマセン)
近江八幡城下の「背割水路(排水)」の事は、知っておりましたが…ここまで、詳しく内容を知りませんでした。八幡掘りを歩くと、「背割水路(排水)」の表示看板が、確か??佃煮屋さんの斜め前?お土産屋さんの右手辺りに有りましたよね(←アバウトな説明で、どこだか解らんですね(笑)違っていたら、スイマセン)
Posted by プーちゃん(PU-ちゃん)
at 2012年12月24日 10:47

プーちゃんへ。
こんにちは。今日は寒い日でふるえあがっています。
今年も八幡掘には行ってるのですが、背割水路の説明板のことは気がつきませんでした。この日も皆さんと一緒で八幡堀界隈を散策したのですが気がつかなかったです(まだこの時点では背割水路の説明は受けていません)。
佃煮屋さんの斜め前ですか?土産物屋さんの右手ね?????。
また行く機会は必ずやあると思いますので、その折には確りと確かめます。
背割水路も驚きですが、古代水道の件もよく出来ていると思いました。八幡の町はまさに先人の知恵が凝縮された町なんですね。
近江商人発祥の地であること納得です。
こんにちは。今日は寒い日でふるえあがっています。
今年も八幡掘には行ってるのですが、背割水路の説明板のことは気がつきませんでした。この日も皆さんと一緒で八幡堀界隈を散策したのですが気がつかなかったです(まだこの時点では背割水路の説明は受けていません)。
佃煮屋さんの斜め前ですか?土産物屋さんの右手ね?????。
また行く機会は必ずやあると思いますので、その折には確りと確かめます。
背割水路も驚きですが、古代水道の件もよく出来ていると思いました。八幡の町はまさに先人の知恵が凝縮された町なんですね。
近江商人発祥の地であること納得です。
Posted by 吉祥
at 2012年12月24日 12:05

雪でもチラつきそうな寒いイブになりました。
八幡へはよく出掛けますが、背割水路のこと初めて知りました。
水路 そう云えば有ったように思う程度しか覚えていませんので
今度はしっかり確認してみます。
砂礫層と粘土質の件も、とっても興味深く拝見しました!!
八幡へはよく出掛けますが、背割水路のこと初めて知りました。
水路 そう云えば有ったように思う程度しか覚えていませんので
今度はしっかり確認してみます。
砂礫層と粘土質の件も、とっても興味深く拝見しました!!
Posted by パル
at 2012年12月24日 14:47

パルさんこんばんは。
八幡にはよく出かけるとのこと、そう言えば八幡掘のスケッチでコメントやりとりしたっけ。
「せわりすいろ」と言うらしいですが知りませんでした。それと古式水道の話しも興味深く聞けました。
JRの八幡駅から日牟礼八幡さんに向かって歩いていくと、八幡堀に突き当たりますが手前の道が小幡町通り。
このあたりの道を横に歩くと必ず背割水路を見ることができます。それとこのあたりは地質は粘土質。ここから東側に歩くと永原町通りに出ます。この永原町通りが市内では最高点なんだそうです。
市内を横方向に見てみると、はっきりと高低差があるのがわかります。その差はなんと5mなんだそうです。
八幡と言うと八幡堀に目がいってしまいますが、こんなところに城下の秘密が隠されていたことに驚きです。
砂礫層は市内の右半分が砂礫で、左半分(野洲側)は粘土質なんだそうです。背割水路は今でいう排水路のようですが、昔のことですから真水に近い水を流していたのではないでしょうか。
こここら八幡堀に流れて、そのあとは琵琶湖にそそいでいたようです。琵琶湖と直結した生活がそこにあったのではないかと考えています。
という訳で私のブログのカテゴリーも「湖と人間」にしました。
八幡にはよく出かけるとのこと、そう言えば八幡掘のスケッチでコメントやりとりしたっけ。
「せわりすいろ」と言うらしいですが知りませんでした。それと古式水道の話しも興味深く聞けました。
JRの八幡駅から日牟礼八幡さんに向かって歩いていくと、八幡堀に突き当たりますが手前の道が小幡町通り。
このあたりの道を横に歩くと必ず背割水路を見ることができます。それとこのあたりは地質は粘土質。ここから東側に歩くと永原町通りに出ます。この永原町通りが市内では最高点なんだそうです。
市内を横方向に見てみると、はっきりと高低差があるのがわかります。その差はなんと5mなんだそうです。
八幡と言うと八幡堀に目がいってしまいますが、こんなところに城下の秘密が隠されていたことに驚きです。
砂礫層は市内の右半分が砂礫で、左半分(野洲側)は粘土質なんだそうです。背割水路は今でいう排水路のようですが、昔のことですから真水に近い水を流していたのではないでしょうか。
こここら八幡堀に流れて、そのあとは琵琶湖にそそいでいたようです。琵琶湖と直結した生活がそこにあったのではないかと考えています。
という訳で私のブログのカテゴリーも「湖と人間」にしました。
Posted by 吉祥
at 2012年12月24日 18:33

地面の上に立っているものばかりじゃなく、地質を知るのも愉しいですね。
吉祥さんの解説の中で不思議に思ったのは、八幡城下内で硬水と軟水が流れていたことです。水源が違うのでしょうか。興味が尽きないです。引き続き解説お願いします。
また、発掘現場の話になりますが、掘っている最中に竹製の水道管が出てきたことがあり、近世土木に感心しました。
江戸城下も水道施設が発達してたとか。
柔な資材と進んだ土木技術の対照的なところが、面白くて。
吉祥さんの解説の中で不思議に思ったのは、八幡城下内で硬水と軟水が流れていたことです。水源が違うのでしょうか。興味が尽きないです。引き続き解説お願いします。
また、発掘現場の話になりますが、掘っている最中に竹製の水道管が出てきたことがあり、近世土木に感心しました。
江戸城下も水道施設が発達してたとか。
柔な資材と進んだ土木技術の対照的なところが、面白くて。
Posted by sho惑星 at 2012年12月25日 10:24
わたしが案内役をしていたから、こんな風になってしまったみたいですね。公民館にだすだけだから、変えてもどうも無いでしょう。町歩きだとわたくしがんばっていきます。
これからいろいろ専門家の話をきくこともあるので、がんばりますわ。
でも草津宿はでませんでしたか、近すぎてあかんとか。
これからいろいろ専門家の話をきくこともあるので、がんばりますわ。
でも草津宿はでませんでしたか、近すぎてあかんとか。
Posted by そば打ちおじさん
at 2012年12月25日 10:25

sho惑星さんこんにちは。
八幡の町歩きで古代水道にめぐり合えるとし想像もしませんでした。八幡には多くの観光客が訪れますが、水施設を見学する人はまずいないのではないですかね。観光マップにも載っていませんからわかりませんけどね。
水源云々より地質が問題だと思います。発掘調査でトレンチの断面をガリ掛けすると土の層が出ると思います。層によって鉄分が含まれた地層があるみたいで、その地層の水は宙水と言うようですが、その水を汲みあげると赤茶色をしています。
この水は飲めないし、洗濯にも使えません。一般的には鉄気(かなけ)と言っています。
八幡城下で言うと例の新町通り当たりから西側ですか?、草津方面が地下水をくみ上げても鉄気みたいです。
そこで新町通りより彦根側は真水で、飲み水になるので竹の筒で西側に送っているようです。市内は5mからの高低差があるようで、重建である永原町あたりが一番高いようです。
竹製の水道管ですが私も見た事あります。草津近辺の旧集落のほうに行くと、昭和30年代頃まで竹製パイプで繋がれた井戸はあったようです。
それはそうと水のくみ上げですが、井戸水でくみ上げるのと、ガッチャンポンプでくみ上げる方法がありました。
スケッチに行ってガッチャンポンプ見た事ありませんか。
私のブログでは2010、11、28日にガッチャンポンプの事記事にしていますし、ギャラリー野沢菜のパルさんが2012、7、16日にポンプをスケッチされています。
八幡の町歩きで古代水道にめぐり合えるとし想像もしませんでした。八幡には多くの観光客が訪れますが、水施設を見学する人はまずいないのではないですかね。観光マップにも載っていませんからわかりませんけどね。
水源云々より地質が問題だと思います。発掘調査でトレンチの断面をガリ掛けすると土の層が出ると思います。層によって鉄分が含まれた地層があるみたいで、その地層の水は宙水と言うようですが、その水を汲みあげると赤茶色をしています。
この水は飲めないし、洗濯にも使えません。一般的には鉄気(かなけ)と言っています。
八幡城下で言うと例の新町通り当たりから西側ですか?、草津方面が地下水をくみ上げても鉄気みたいです。
そこで新町通りより彦根側は真水で、飲み水になるので竹の筒で西側に送っているようです。市内は5mからの高低差があるようで、重建である永原町あたりが一番高いようです。
竹製の水道管ですが私も見た事あります。草津近辺の旧集落のほうに行くと、昭和30年代頃まで竹製パイプで繋がれた井戸はあったようです。
それはそうと水のくみ上げですが、井戸水でくみ上げるのと、ガッチャンポンプでくみ上げる方法がありました。
スケッチに行ってガッチャンポンプ見た事ありませんか。
私のブログでは2010、11、28日にガッチャンポンプの事記事にしていますし、ギャラリー野沢菜のパルさんが2012、7、16日にポンプをスケッチされています。
Posted by 吉祥
at 2012年12月25日 15:38

そば打ちおじさんへ。
来年はもう少し外にでるようです。公民館に提出する計画案ですから、変えるのは問題ないと思います。会長さんもそう言っていました。
ただ誰も候補地を言わないのは何故なんでしょう。
私一人が喋っていたので草津宿は出しませんでした。草津はだれもが知っていると思ったからです。
来年はもう少し外にでるようです。公民館に提出する計画案ですから、変えるのは問題ないと思います。会長さんもそう言っていました。
ただ誰も候補地を言わないのは何故なんでしょう。
私一人が喋っていたので草津宿は出しませんでした。草津はだれもが知っていると思ったからです。
Posted by 吉祥
at 2012年12月25日 15:43
