2012年12月25日

豊臣秀次公を偲んで

土曜日に県の文化財保護課主催の近江歴史探訪で八幡山城を訪ねてきました。八幡山城は言わずと知れた豊臣秀次が築いた城。天正13年(1585年)に若干18才で城主となっています。
その後秀次は1590年に尾張清洲に移っているようですから、実質5年間しか八幡にいなかったみたい。それと城自体は秀次事件によって割腹自殺の後、京都の聚楽第と共に淀殿によって廃城となってしまったそうです。

秀次は秀吉の姉智子の子であるから秀吉にとっては甥にあたります。秀吉に子供が出来なかったので、子養子に迎え入れるのですが、晩年に謀反の罪により高野山にて割腹自殺を命令された悲運の将でもあります。

謀反の嫌疑とは一体何なのかは諸説があるようですが、一般的には備中の毛利と組んで秀吉を企てたこと。もう一つは長年子供にできなかった秀吉に、淀殿との間に秀頼が誕生し胡散臭くなってしまったことがあげられています。割腹自殺させた後、秀吉は秀次の正室から側室に子供、家来を含めて38名の首を三条河原に晒したらしいから何をいわんやかですよね。
俗説の中には淀殿が生んだ秀頼は秀吉の子ではなくて、秀次の家臣の子でありそれを秀次が知っていたためだとかと言う三流小説まがい説もあるようです。

殺生関白とも言われ、かなり凶暴な性格の持ち主であったようですが、八幡の町を商業都市としての礎を築いたことには間違いはなさそうです。

豊臣秀次公を偲んで

八幡公園で集合の後3班に分かれて、まず秀次館跡をめざしました。八幡山は急峻な為に実際は秀次は山麓の居館で過ごしていたようです。館跡と周囲は遺跡発掘作業も行われていて、金箔瓦などが出土され又周囲には家臣群と思われる居住跡も確認されているようです。
大手道と称されている細い道を登ると画像の石垣が見え、この後ろ側が秀次館跡だととのことでしたが雑草と荒地で前に進めませんでした。話しによるとこの先からが大手道と考えられ、主廓へ通じると思われるのですが土砂崩壊で谷が崩れ落ちてしまって行けないそうです。そのため残念なことに発掘調査も未調査で、このことが八幡山城の全体像が不明なんだそうです。

という訳で一旦戻って公園裏からロープウェイに沿って、整備された登山道から登攀を開始しました。寒い日でしたが山頂近くでは上着を一枚二枚と脱いでの山登りでした。

豊臣秀次公を偲んで

本丸と思われる石垣ですがクサビが打ち込まれているのが見えるでしょうか。矢穴と言って石に穴を穿いて方形に割っていくのだそうだが、現在でもこの方法がとられているようです。

豊臣秀次公を偲んで 豊臣秀次公を偲んで
豊臣秀次公を偲んで



秀次の母が秀次を弔って京都に瑞龍寺を建てたのだが、昭和に入ってこの地に移されています。30年ほど前に来たときですが尼にが住職としておられました。元宝塚出身のスターで小笠原なんとか言ったと思うのですが。水之江滝子さんとコンビだったのでは?。どちらが男役で女役?。

豊臣秀次公を偲んで

下山の時にはようやく霧のほうも少し消え伏せたでしょうか。

豊臣秀次公を偲んで

安土には元から常楽寺港という湊があったが八幡には港がありませんでした。そこで秀次は運河を造り琵琶湖から船が出入り出来るようし、そして琵琶湖を通行する舟は必ず八幡堀に寄港するように掟を定めたとあります。
そのことが近年まで続き八幡商人の活躍の場となったようです。

豊臣秀次公を偲んで

浄土真宗八幡別院。
家康が上洛のおりに宿泊している記録があるそうです。それと朝鮮通信使の昼食所となっていました。朝鮮通信使一行は中山道を通らずに、野洲の行畑から別れて八幡を通り、彦根の佐和山城下を通って中山道に合流しています。
あえてこのくねくねした道を通ったのは、少しでも国土を広く見せるためだと聞いていたのでそのように信じていましたが違いました。
しかしこの一行ですが、出迎え側を含めて多い時は千数百名が行進したと言います。食事の準備はさぞかし大変だったというか、どのようになされていたのか興味がわく所です。





同じカテゴリー(近江歴史回廊)の記事画像
嘘で固められた地域の歴史(椿井文書)
旧長浜駅
ぼちぼちです
大津百艘船
栗東辻遺跡
明日から光秀公の大河ドラマ
同じカテゴリー(近江歴史回廊)の記事
 滋賀の鉄道史 (2023-04-20 16:49)
 嘘で固められた地域の歴史(椿井文書) (2021-02-07 09:26)
 旧長浜駅 (2020-11-05 11:33)
 ぼちぼちです (2020-10-08 10:22)
 大津百艘船 (2020-03-21 09:33)
 栗東辻遺跡 (2020-02-15 16:32)


この記事へのコメント
秀次がいたら豊臣家は長くつづいたとおもいますね。
秀吉は絶対にこどもがでくなかったはずなんです。妾がたくさんいてて子供がなかたんですから。
 でも八幡は城を壊されてからすごい生命力でいきかえったんですね。
 いまや、滋賀のすごい観光地ですね、やっぱりお菓子やさんの成果が出たんですね。
Posted by そば打ちおじさんそば打ちおじさん at 2012年12月25日 22:12
そば打ちおじさんへ。
八幡堀は埋め立てして駐車場にする計画があったそうですが、残しておいてよかったですね。その代り市内には公営駐車場がないのが難点ではありますが。
クラブハリエさんは何処とも大賑わいですね。
守山の琵琶湖大橋取り付け道路沿いにあるクラブハリエも、いつもガードマンが出て交通整理しています。私は甘いものは受け付けないのでいつも不思議に思ってみています。でも人気がある証拠なんですよね。
Posted by 吉祥吉祥 at 2012年12月26日 07:20
吉祥さん、今日は。近江八幡は昔の風情があり、また見どころも多く良い街ですね。吉祥さんは、細かく丁寧に観察されているので、感心して読ませていただきました。八幡堀の辺りは情緒が漂っており、私も好きな所です。残っていて良かったですね。
浄土真宗八幡別院の前は何度も通っていますが、中には入ったことがありません。案内役がいるとこの点でもメリットがありますね。
Posted by kobatoan at 2012年12月26日 09:56
kobatoanさんこんばんは。
八幡の町は落ち着いた良い町ですね。歴史に裏打ちされた町で私も好きです。
八幡別院ですが、表門、鐘楼、そして本堂が県指定の文化財となっているようです。事前に許可を得られていたのか境内に入ることが出来ました。立派な本堂でいずれは重文の指定を受けるものかと思います。
説明していただけると歩きも楽しみが倍増します。
Posted by 吉祥吉祥 at 2012年12月26日 19:28
前回の続きで‥
灘は硬水で男酒、伏見は軟水で女酒‥なんて聞きますが‥
土壌によっては狭い地域でも軟、硬水になってしまうんですね。
なんとなくもっと広い面積で考えていました。
地下水を使用していた時代は、もっと地質や水質のことに敏感だったろうと思います。
ガッチャンポンプ、使ったことあります♪つい、ヘレンケラーの「奇跡の人」のワンシーンを思い出してしまいます。

秀次ですが、奥さんたちとのお墓が京都にありますね。
ドラマなどではあまりいい描かれかたをしませんが、「江」の時は悩みを抱えた哀しい人物像に描かれてました。

吉祥さんのお話に引き込まれて、一緒に見て歩いた気分です。
Posted by sho惑星 at 2012年12月26日 23:14
sho惑星さんこんにちは。
軟水、硬水と言うより、真水か金気(かなけ)です。金気の水は飲めません。家庭用の地下水のくみ上げは4、5m下の地層からくみあげているのではと思っています。
同じ町内でも飲み水にできる所とかなけの所があると聞きます。おそらく地層に溜まる層によるものではないでしょうか。かなけの水が出たとしても、カチコミでもう少し深く入れたら真水が出たりするらしいです。
奇跡の人のワンシーンとは映画のことですか。博識ですねなんでもご存知なのに感心しました。

昨年の大河ドラマ見ておられたのですか。私は全くみませんでした。ドラマを見かけると、毎週その時間を気にしないといけなくてどうも苦手です。殺生関白とか言われて悪役イメージなのですが、そうですかね。
お墓が京都にあるとのことですが嵯峨ですか。

一時期は町全体が淋しくなったようですが、長浜と同じくまちづくりが上手くいったようで八幡堀界隈は賑わっているようです。
ただ商店街だけは少し元気がないように思われます。
Posted by 吉祥吉祥 at 2012年12月27日 08:14
昔、見に行ったのですが、秀次と一族のお墓は三条大橋西詰下がる瑞泉寺です。

何年か前に、朝鮮通信史のイベントが八幡でありました。津や牛窓で行われている唐人踊りが、通信史の様子を彷彿とさせるように町を練り歩きました。その時に、八幡別院で通信史の再現食事を販売されていたので列にならんだのですが、自分の前で売切れてしまいました〜どんな味だったんだろう(泣)

「奇跡の人」ですが、サリバン先生がポンプから出した水に触れたヘレンケラーが、その手に触れたものが「water」だと理解したシーンでした。
Posted by sho惑星 at 2012年12月29日 01:36
sho惑星さんへ。
三条大橋の近くに菩提があるとは知りませんでした。村雲御所の瑞龍寺とよく似た名前ですね。
サンライズからの出版で元彦根東の先生が朝鮮通信史本を出されています。中山道を通らなかったのは、大勢の人の泊まる所と昼の休憩場所がなかったからと聞きました。では何処で泊まったのか、そしてお昼の接待はいかがなものであったか興味が尽きないところです。

折角並んでいるのに自分の前で終了とは癪にさわりますね。もっと早くに言ってもらわないと気分が悪いですよね。
Posted by 吉祥吉祥 at 2012年12月29日 14:13
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

< 2025年05月 >
S M T W T F S
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
QRコード
QRCODE
Information
ログインはこちら
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 39人