2013年03月18日

昭和40年頃の浜大津

昨日からの続きブログなのだが、大谷で昼食をとってすぐさま歩きだした。気心知れた濡れ落ち葉が三枚だから、何もかも即決なのが良い。国道一号線の下り坂を歩くと間もなく、浜大津と草津方面の分岐まで来てしまった。旧東海道は浜大津方面を歩くことになる。トラックや乗用車が行き交う国道では、もはや東海道の面影を探すことは到底不可能なことであった。

昭和40年頃の浜大津 昭和40年頃の浜大津

西の方に目を向けると京大の地震観測所が見えた。ここには明治初期の東海道線のトンネルが残っていることは知っていたが、いつも門扉で閉まっていて中に入れることはなかった。ところがこの日どういう訳か門扉が開いていた。道路脇の側溝の補修が行われていて、どうやらその工事車両を停めるために開いていたようだ。
誰もおらないので無断ではあるが、三枚の落ち葉は侵入することになった。

初めて見る鉄道記念物のトンネル。レンガ造りでいかにも明治風であった。30mほど先で閉じられていたが、この先はどうなっているのだろうか。それと現在のJR線がすぐ近くを通っているのだが、角度が90度違うがこの差はなんだろうか。明治の頃の東海道は、山科では今の新幹線の近くを通っていて、奈良線の稲荷駅に出たと聞いたことがある。

その後京阪上栄町駅附近から電車通りに入り、明治天皇聖跡まで来た。この附近に大津の本陣はあったと聞いていて、同行者に説明したら最近草津で大津の古絵図が見つかって、本陣、脇本陣が五軒記載されていたと言う。私もこのニュースはネットで見て知っていたが、流石濡れ落ち葉三枚組だと思った。

札の辻までやって来て、東海道は右折れで左側に進路をとると北国海道で敦賀まで続いていると説明した。それに突き当たりに花登筐の生家があると言うと、どうも反応が薄かった。東海道を暫く進んで大津駅まで行くと、今日の予定終了なのだが時計を見るとまだ2時10分で帰るには早すぎた。ここから5分程のところに、曳山博物館と大津百町館があってどちらも無料なので、時間をつぶさないかと提案したら行くことになった。

大津百町館は以前と比べて、西側の文泉堂の店があったところも百町館が使っているようで驚いた。窓越しに中をのぞいていたら大津百町の写真展でもやっているようだ。中から男性が出てきて、どうぞお入りくださいと言う。今、大津百町のビデオをやっているので見てくださいと椅子席をすすめられた。ビデオは大津の街の古老達の昔話しのようであったが、大津生まれでない我々にはよくわからなかった。ビデオは4編から構成されていて、10分ほどしたら一編が終わった。全部見るとなると、一時間以上もあるようなので席をたって写真展を見ることにした。招きいれてくれた男性が何処からきたのかとか色々聞かれた。私は県内産なので多少なりとも大津の町のことは分かるが、同行の二人は県外産なので興味は薄かったのではなかろうか。
ところでこの男性どこかで見た顔。名前を聞くのは失礼かと思い、聞かなかったがどうも気になる。この百町館には辛い想いがあり、そんなことを考えて写真を見ていると、目は確かに写真を見ているのだが頭は他の考えていて結局、どのような写真だったか全く覚えていない。

とまあ~ここ百町館をお暇することにして外に出ようとしたら、またしても男性が旧大津公会堂でも大津百町博覧会やっていて、3階に昭和40年頃の浜大津のジオラマが展示してあるのでよかったら見ていってくださいという。ご丁寧に場所まで教えていただいた。
余談だがこの百町館は過去大津百町館を守る会が運営していた。男性によると今は財団法人とかになっているようだ。

昭和40年頃の浜大津 昭和40年頃の浜大津

公会堂に行くと二階では写真をやっていて、三階にあがると昭和40年頃の浜大津を再現した模型が展示してあった。そしてここでも百町館と同じビデオをやっていた。第何編の作か分からないが、先ほど百町館で見た男性がインタビューしているのが写っていて驚いた。受付の女性の方に、インタビューしている男性はどなたですかと聞いたら、大津歴史博物館の樋爪館長だって。思わずあ~あ~と言ってしまった。おかげさんですっきりしましたわ。

私にとっては昭和40年頃の浜大津というと、もう滅茶苦茶思い出が詰まっているところでじっくり見たかったのだが、同行の方は当時は多分県外で暮らしていたから関心が薄いであろう。あまり長く、ここにいるのも悪いので退出したが、会期がいつまであるか調べて出来たら一人でもう一度行きたいと思う。

このあと大津事件があったところを教えてほしいと言うものだから、案内して岐路についた。Kさんの万歩計によると2万4000歩だと聞いてびっくりした。それほどしんどくは思わなかったのだがね。


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この記事へのコメント
吉祥さん、今日は。三条大橋から大津駅とはいえ、色々と脇道にそれているので、2万4千歩とは結構な距離を歩かれましたね。
このブログの内容を見ると歴史ウオークとして、素晴らしいウオークになりましたね。40年ごろの浜大津駅の写真は記憶にあります。この展示はいつごろまで開催されているのですか。
Posted by kobatoan at 2013年03月19日 15:13
吉祥さん!

最近、札の辻から追分まで、歩いてきました。近松別院、本長寺、犬塚、長安寺(関寺跡)、蝉丸神社(関蝉丸神社下社・上社、蝉丸神社)等が主な見どころでした。車では通り越すのですが、歩くと交通量も多く気が抜けませんでした。例の隧道は、2年ほど前、訪れたことがありますが当時は誰でも近づくことができたと記憶しています。

京都側からのウオークいまだ未経験です。草津から浜大津、京都へ歩かれる方を、膳所周辺の旧東海道で、よく見かけますが。
Posted by どんたく at 2013年03月19日 18:47
あの日、三条から大津まで歩かれたのですね!
月心寺は団体予約でお食事できたのですが、最近はされてないような‥
旧逢坂トンネルの中、覗けてよかったですね。私も覗きたかったです。
大津事件の関係文書が県指定の文化財になったと、今日のニュースでいってました。
花登筐さんの解説ができず仕舞いで、ちょっぴり残念そうな吉祥さんのキモチ伝わってきました〜
消化不良な部分は、またblogで大いに語ってくださいね。愉しみにしています。
Posted by by sho惑星 at 2013年03月20日 00:51
kobatoanさんへ。
今晩は。
山科から大津には過去歩いたのですが、京都から歩いたことはなかったので楽しめました。ただ九条山から天智天皇の御陵までの間は、何か歴史が残っているとは思っていたのですがそれらしきものはありませんでした。

かなりの距離を歩いたと思うのですが、気心知れた町内の方とのウォークで疲れませんでした。

S40年の頃の浜大津は懐かしい限りです。会期はいつまでか知りませんが月末迄でしょうか。
Posted by 吉祥吉祥 at 2013年03月20日 19:03
どんたくさん今晩は。
コメントに紹介してくださった所も実は行きました。デジカメにも撮ったのですが、過去にものこのブログに書いたので省略しました。
京都から大津までの旧東海道は見るべきところはありませんでした。次回は大津~草津までこのメンバーで歩くことになっています。この日も何組かと東海道ウォークを楽しむ人と出会いましたよ。
Posted by 吉祥吉祥 at 2013年03月20日 19:13
sho惑星さんへ。
今晩は。
知恩院さんの近くで生まれたとか。その近くに明智光秀の首塚があるのをご存知ですか。首塚の隣と言うか前にある、お饅頭屋さんの餅寅さんをよく知っていた度々行きます。

月心寺ですが精進料理はもうやっていないのですか。ゴマ豆腐が有名でNHKの朝ドラの主人公に採用されたそうですね。

大津事件の資料が県指定の文化財に指定されたとのこと知りませんでした。花登筐さんのことは過去にこのブログで書いたことがあります。いつ頃だったでしょうか。
私にとっては何と言っても「番頭はんと丁稚どん」が印象的です。ようやくテレビが各家庭に普及してきた頃で毎週楽しんでいました。

七ふく製薬がスポンサーで、月曜の七時からの放映だったと思うのですが?。
Posted by 吉祥吉祥 at 2013年03月20日 19:26
こんばんは
三条大橋から大津まで2万歩以上はなかなかの健脚ですね!!
滋賀県民になって20数年のパルにも、興味深いお話有り難うございます。

明智光秀の首塚のお世話をされてる、餅寅さんの美味しい「ういろ」 頂きたくなりました。
今度美術館へ行った折 お邪魔したいと思います。
Posted by パルパル at 2013年03月20日 22:57
パルさんへ。
今晩は。
同行者の万歩計での数値です。歩幅70センチで24000と言っていました。気心知れた知り合い同士でのウォークでしたので、思ったより疲れは感じませんでした。今回は一応大津で終えましたが、膳所までぐらいまだ行けそうだねと同行者の弁です。

餅寅ですが、明智光秀の首塚ですっかり有名になったようで、雑誌とかの取材で記者が度々来てインタビューを受けているようです。週末の散歩道から来たと言ってくださったら、お茶ぐらいサービスしとけてと言うときますわ。
Posted by 吉祥吉祥 at 2013年03月20日 23:59
私は大津から三条まで歩きました。
東山から蹴上まではすごい上りです。でも降りたほうがもっと急だったかも。
 御陵の道は旧道歩きましたか、九条のう山降りて右へ行く道があります。私はそこの道は歩きませんでしたわ。

 昔の浜大津が懐かしいです。朝、高校に行く時は、江若の列車といっそでしたわ。前にバス停がありましたね。
Posted by そば打ちおじさんそば打ちおじさん at 2013年03月22日 20:39
東山を下車したら、知恩院さんへはいつも古川町商店街を通って行きます。母に手をひかれ買い物をしていたところです。今度行く時は白川の方を歩いてみますね。
九条山の辺りだったか、車石を石垣にしたものが見られます。あと、物騒な史跡ですが、山手に刑場跡も‥
Posted by sho惑星 at 2013年03月23日 01:33
そば打ちおじさんへ。
旧東海道を歩こうと言う事で町内の方でチームができました。どういう訳か私が案内役になってしまいました。
九条山から御陵まで旧の東海道を歩きましたが、往年の歴史を感じるようなものはありませんでした。三条から大津までで、江戸時代の様子を伺えるといえば大谷附近だけですかね。

浜大津には懐かしい思いが満載です。高校は江若鉄道に乗って通学していましたからね。
Posted by 吉祥吉祥 at 2013年03月23日 19:29
sho惑星さんへ。
古川商店街はよく知っています。でもあそこも淋しくなってしまいましたね。
三条から大津まで歩きましたが、記事が長くなるので三条から大谷と、大谷から大津までの二つに分割してアップしました。

17日の記事に車石のことは載せていますので見てくださいね。
九条山の刑場の石碑を探したのですが分かりませんでし
Posted by 吉祥吉祥 at 2013年03月23日 19:36
すみません途中できれました。

九条山の刑場跡は探したのですが、分かりませんでした。
白川の道標を知恩院に向かって100mほど行くと、明智光秀公の首塚がありその脇にお饅頭屋さんがあります。知り合いでしてよく行きます。
Posted by 吉祥吉祥 at 2013年03月23日 19:41
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