2013年05月30日

トマトの習性



図書館で何気なしに園芸雑誌を見ていたら、トマトの栽培方法のページで目がとまった。その中で興味深い記事が。トマトには着花習性があって、一段目と上段の花は同じ方向に咲くのだとか。
つまり一段目と二段目、三段目、四段目、(以下続く)、と同じ方向に咲くのだそうだ。同じ方向に花が咲くと云うことは、同じ方向に実が結実すると云う事。これを利用して一段目の花が咲いたら、咲いている花の向きを通路側に揃えると収穫の時に手間いらずと書かれている。

へえーそうかなぁー。トマトが生っている所は毎年のように見ているが気がつかなかった。家庭菜園ではあまり関係ないかも知れないが、実が通路側にぶら下がっていたら確かに収穫はやりやすいよね。



そこで今年、物は試しと言うことで苗を買ってきてみてみることにした。買ってきた時点ではまだ花芽が着いていなかったので、とりあえず仮植えして花芽を待った。今月の中頃に黄色い花を漬けだしたので、指摘のとおり花が咲いている方を通路側に定植。

一段目の花が咲いて二段目に花が咲き出したので、確認してみると確かに全部通路側に咲いているではないか。ことあと三段目の結果はいかに。
(見にくいですが、一段目には小さなトマトが結実していました。黄色の四角い線の内側です)  


Posted by 吉祥 at 15:50Comments(4)果菜類

2013年05月26日

よくぞ勝ち越した鳰の湖

十両の鳰の湖が勝ち越した。先ほどモンゴル出身の力士と対戦して、はたきこんで8勝をあげて今場所の勝ち越しが決まった。今日の取り組みは互いに7勝7敗同士で、勝った方が勝ち越しで負けたほうが負け越しと、天下分け目の戦い。見事に勝利しました。

今場所は出足がすこぶる良くて、先場所からの好調が持続しているものと期待していたのだか、3日目の取り組みで靭帯を損傷する怪我をしてしまった。4日目、5日目と見たが相撲をとるような状態ではなかった。見るのも気の毒な体調だったので、今場所は諦めて応援していなかったのだが、いつの間にか相星となっていた。
そして本日給金相撲で見事勝ち越し。来場所は再入幕の挑戦とおもってもみなかった展開となりました。  


Posted by 吉祥 at 14:55Comments(4)スポーツ

2013年05月24日

堅田の町を歩いてきました



すこし色褪せしてしまいましたが、先週の16日に玉川公民館の歴史サークルの皆さんと堅田の町を歩いてきました。この歴史サークルだが昨年に入会したのですが、今年度は事情があって参加がきつくなりそうなので先月休会と言うか退会を申し入れしていました。しかしこの堅田の町歩きについては、早くから私に案内役を頼まれていたので今月だけはと引き受けました。

堅田は郷に近くて幼少の頃兄に何度か自転車の二人乗りで連れて云ってもらった記憶があり、また高校時代の友達が堅田にいて遊びに行った思い出がある懐かしい所でもあります。しかしそれらの思い出は幼少の頃からだと半世紀以上も前のことですし、高校時代からでも50年近くもたっています。

皆さんを案内するところはガイドブックで確認してある程度はわかるのですが、ただトイレの位置だけは確認しておいたほうが良かろうかと今月初めに一人で下見に行ってきました。
堅田の駅から歩いて国道161号線をすこし大津寄りにとると、コジャックと言うスポーツジムがありますがここは昔江若鉄道の堅田駅があったところです。江若をなまってコジャックと名づけたのでしょう。でもこのことに気づく人もだんだんと少なくなってきたのではないでしょうか。

堅田商店通りと掲げられた鉄骨のアーチを通り抜けると、堅田教会が見えました。ヴォーリズさんの監理設計の建物ですが、屋根が軽量瓦で葺かれていて面影がやや薄く感じられました。しかし以前は見た目でもかなり傷みが目立ちましたが、かなり補修されたようで見栄えは良くなっていました。

この附近から商店街になった記憶があるのですが、それらしきお店はありませんでした。そのまま琵琶湖側に進むと4差路にでますが、この辺りが一番賑わっていた所の筈。交差点を右側に折れて左にすこし入ったところには、昭和館と言う映画館があり友達の家はその辺りだったと思います。しかしある程度は予測していましたが、あまりにもその寂れようには唖然としてしまいました。
よくシャツター通りと云いますが、堅田の商店街は一軒づつ独立しているのでシャッターの家は目立たなかったです。古い看板などがそのままの家は、ここはお店だったんだなあーと思えるのですがかなりの家が建替えられていました。それにしてもあんなに賑やかな商店街に一軒もお店が見つからないとは。

暫く歩くと堅田の港に到着。昔はお堀のようになっていて木造船が何艘も浮んでいましたが、堀の殆どは埋め立てられていて、勿論木造船など浮んでいません。僅かに堀らしきものが残っているのがせめてもの慰めでしょうか。
映画が盛んだった頃は、時代劇の撮影によくこの場所が使われたと誰かさんに聞いたことはあるのですが。

小学生の頃は浮御堂に入るのは無料で自由に入れたのですが、今は拝観料がいるとかで世知辛い世の中です(笑)。この附近にとんちで有名な一休さんが修行したと伝わる祥端寺、蓮如上人ゆかりの本福寺、堅田源兵衛の首で有名な光徳寺、京都下鴨神社とかかわりがある伊豆神社と案内するには事欠きません。近年湖族の郷と言う資料館が出来ていて、ここで堅田の歴史を説明してくださると聞いているので入館することにしたい。となると浮御堂に入っていると、午後の部の事を考えると時間がなさそうなので、中に入るのは当日は省略した方がよいかも知れません。

浮御堂から一旦堅田港に戻って、兄に自転車に乗せてもらって来た記憶のある湖岸沿いの道を北に歩きました。漁港のところでは昔このあたりはシジミの殻が一杯捨ててあって、自転車で通るとじゃりじゃりと音がしたものでした。この辺りの在所は出る島と書いて出島(でけじま)と呼びます。私の勝手な想像ですが島がついているので、太古の昔はこの辺りは琵琶湖に浮ぶ島ではなかったかと想像しています。ここには面白いものがあって灯台があるんです。何でも湖に灯台があるのは珍しいとか。

灯台を皆さんに見てもらってと考えながら野神神社に向いて歩いて行くと、これまでの細い道が一転して道幅が広くなりました。確かこの辺りは入江で黄しょうぶが咲いていて、舟が留まっていたところの筈。暫くすると男性が畑をやっていたので聞いてみました。すみません、あの~このあたり昔は入江になっていなかったですか?。男性は40才代位と感じたのですが、手を止めて私のところに来てくれました。

男性の話しによると、入江と言うか石垣が積んだ堀になっていて、田舟が係留されていたとのことでした。この先内湖になっていて田圃までの道がなかったので、この田舟でもって稲を運んで家で脱穀していたとのことでした。40才代の男性が言うぐらいですから、まだそれ程遠い昔の話ではなかったのかも知れませんね。
それより自分の記憶に間違いが無かったことが何より嬉しかったです。ここから勾当内侍廟とされる野神神社を案内して、一路堅田駅をめざして帰宅の途に着く計画をたてて、この日の下見を終えました。



前書きが長くなってしまいましたがこここからが16日当日の記事です。
9時に南草津駅に集合する約束になっていたのですが、今回は案内役なので少しだけ早く行きました。もう既にかなりの方が集まっていて初めて見る人もいます。会の幹事さんが人数確認すると16人だとか。みんな堅田は知らんので楽しみにしてはるんやわの声に、これは頑張って説明せんとあかんわとオツムにネジを巻きました。

駅を降りて直ぐの所に志賀家淡海の顕彰碑があります。淡海は堅田出身の方で何でも江州音頭の名士だったようで、喜劇役者となって人気を博した方で本人が作詞、作曲した淡海節は一世を風靡しました。渋谷天外、藤山寛美らにとっては大先輩にあたる方です。

この後は、江若鉄道堅田駅跡→堅田教会→堅田商店街→太湖汽船乗船場跡→琵琶湖哀歌作詞者・奥野椰子夫顕彰碑→居初家天然図画亭→伊豆神社→おとせの浜(昼食)→堅田浮御堂→本福寺→光徳寺→祥端寺→湖族の資料館→堅田漁港→堅田内湖と案内してきました。

浮御堂については、私は多分皆さん行っておられるので拝観は見送るつもりでしたが、昼の休憩時間を短縮してでも入りたいとの事で見学することにしました。
居初家と堅田漁港の間に古くからの饅頭屋さんがあるのですが、歩きながら女性の方にここの最中は美味しいんよと云うとじゃぁーと言ってお店に入りました。すると我も我もとほぼ全員が店内に。これには私もびっくりしました。
ある男性が最後に入ろうとしたら、もう商品はないで~の声が。これには思わず笑ってしまいました。私は饅頭は食べる気がしなくってね、それに土産といってもよく餅寅さんで頂くので私だけ買いませんでした。

やがて駅の所にあるアルプラザが見えてくると、吉祥さん今日はよかったわとお褒めの言葉が。こうやって説明してもらえるとよく分かるわとのことで、多分にお世辞が含まれているとは云え悪い気はしませんでした。
私は専門家でも歴史オタクでもありませんが、何か参考にでもなればと説明してきました。中には私の説明に熱心にメモを取る人もいて恐縮しました。

帰りの車内でも今回が最後ということで色々と云われましたが、南草津歴史街道サークルの発展を祈念して皆さんとお別れしてきました。
当日は説明するのに手一杯で写真を撮ることができませんでした。二枚の写真は月初めに下見に行ったときのものです。  


Posted by 吉祥 at 16:40Comments(8)近江歴史回廊

2013年05月20日

初めて口に入ったサクランボ



樹齢10数年のサクランボの木があります。サクランボは違う品種を2本植えないと結実しないと云われています。ところが我が家のサクランボは一本でも生ると云う優れもの。4、5年前から実が生りだしたのですが、少し大きくなったなあーと思ったころにヒヨドリに食われてしまって、実が赤くなったのは見た事もありませんし勿論口にしたこともありません。

防鳥ネットを張ろうとしたのですが、木が大きくて上手く張れませんでした。万策尽きてお手上げ状態で毎年ヒヨドリの餌食となっていました。今年考えを変えて木全体を覆ってしまおうとするからいけないので、少しだけならネットで覆うことが出来るのではと考えた。



今朝初めて我が家のサクランボを食べることが出来た。ウン、甘酸っぱくてサクランボの味がした。来年はもう少しネットを広げて野鳥の攻撃を撃退したいものだ。  


Posted by 吉祥 at 12:27Comments(8)果樹

2013年05月18日

福山聖子さんのスケッチ展



朝から膳所市民センターで開催されている「福山聖子スケッチ展」に行ってきた。福山さんのスケッチ展はこれまで二回ばかり見せてもらっていたが、今回は大津、膳所、石山を主に描いた展示だった。



過ぎし大正、昭和の時代の建物が描かれていて、大津市民ではない私にとっても思い出の地、懐かしの建物も数点ありました。会場に入ると女性のグループが絵に額を近づけて何やらヒソヒソ話し。どうやら膳所近郊に住まいを構える皆さんのようだ。一枚一枚の絵にお互いが感想ではなく、絵の場所の説明をやっていた。
とりわけよく知っている絵の前では極端にボリームがあがった。そのあとも次から次へとお客さんが見え、中には今日は先生は何時頃に見えられるのかと、展示スタッフらしき女性に尋ねていた人もいた。何か特別な想いでもあって、聞きたいことがあったのかも知れない。よく聞き取れなかったが、多分来るとは思うが何時頃か分からないようなことを云っていた。

50数点展示してあった作品の中で、最も想いで深いのは大津日赤前にあった焼きいも屋さんである。食べたことは一度もなかったが、生まれてからこの歳まで何度あの釜の前を歩いたことか。ほとんどが日赤に見舞いに、あるいは自分の病気の診察に訪れたものだが思いで深い絵である。

どこのお店を描いたものか分からないのだか、私が目が奪われたのは庵看板と題した絵だった。昔酒屋さんなんかによく掛かっていた看板が描かれていた絵なのだが、あの独特の看板字がそっくりに再現されていて絵の前で立ちすくんでしまった。

十分見せてもらったので芳名帳にサインして帰るつもりだったが、今日のことをブログ記事にするつもりだったので、備忘として印象に残った作品に展示目録に目印を付けるため再度入室した。
で、作品と目録を照合しているとヤバ~ご本人が着物姿で入ってきたではないか。ご本人さんは一応南郷であったスケッチ展で見たので知っていたが、今回は前回とはチト訳が違う。それは昨年福山さんはこの滋賀咲くブログでブログを開設されていて、いつも恐縮しているのだが度々コメントを貰らっていた。

そっとそのまま帰るつもりだったが目録に鉛筆で記しを付けていると、ご存知の所がありましたかと声をかけられた。こうなるともう挨拶しておいた方がよかろうかと思い普段のお礼を云った。まるで福山さんの到着を知っていたかのごとく、人が増えてきたので私はおいとますることにした。
自分の家が描かれた人もいるだろうし、隣の家の人もきっといるであろう。あるいは幼い頃に近くに住んで人もいるであろう。涙と笑いの坩堝である町と、街。そこに暮らす人々のスケッチ展であると挨拶されている。

福山聖子さんのブログです。
ああかかる日のかかる風景
この展覧会の会期は5月25日(土)までです。
  


Posted by 吉祥 at 15:11Comments(8)晴耕雨読日記
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